●「未来は暗い」前提

 なぜ、ディストピア小説が共感を呼ぶのだろうか?

 特に今の若い人は、「未来が暗い」という前提の中で生きているからだと、前出の大森さんは指摘する。

「かつて小松左京さんなどは科学の力で明るい未来というビジョンを小説に描きましたが、今の40代以下の人たちは、明るい未来というイメージがあまりない。未来を想像すると、ディストピアになっているのが自然なのかもしれません」

 こうした空気をいちはやく読み取り、若者の支持を集めたのが、74年生まれで09年に夭折した作家・伊藤計劃だ。担当編集者でSFマガジン編集長の塩澤快浩さんはこう話す。

「伊藤さんはデビューのころから、『僕らの世代はものごころがついたころから下り坂で、それが普通なんで』という話をしていました」

 伊藤計劃は、9.11後のテロに脅かされる現実世界を反映して、国家が安全や安心のために全体主義化する世界を『虐殺器官』や『ハーモニー』といった作品に描いた。

「伊藤さんは、現実の世界が直面する問題を未来に託して描き、それが広く支持されました。今、安全と自由のトレードオフが切実な問題になっています。自由だったはずのインターネットでも、すぐ炎上するからものが言いにくくなり、どんどん自由が奪われて、閉塞感が募っている。ディストピア小説人気の背景には、そういう空気があるのではないでしょうか」(大森さん)

●技術が管理を後押し

 かつては生活を豊かにすると期待されたテクノロジーも、ディストピア小説に描かれる全体主義的な管理社会を後押ししている。

「パソコンやネットは人間を自由にするツールとしてかつて脚光を浴びましたが、今はむしろ、相互監視や同調圧力を強める方向に向かっています。ビッグ・ブラザー的な権力者が管理するのではなく、データに基づく最適化が進むことで均質化したり自由度が減ったりする。『ハーモニー』が描く“真綿で首を絞めるような、優しさに息詰まる世界”が身近になっています」(大森さん)

 伊藤計劃作品の映像化を進める「Project Itoh」プロデューサーの山本幸治さんは、売れる作品には、テーマの普遍性と今日性があることが重要で、伊藤計劃作品は、それらを強く持っていると話す。

「『ハーモニー』では、日本社会特有の同調圧力と息苦しさが描かれていますが、そこが共感を呼び、ピンとくる」

 2月3日からアニメ映画版が公開中の『虐殺器官』はどうか。

「実際は問題があるのに蓋をして先送りをしているところが、現代社会にピンとくる。人は幸せを求めるからこそ、社会がある一定方向に向かっていくと、止まらない。蓋をしていても、かならず揺り戻しが来るんです。そのことを伊藤作品は予言しています」(山本さん)

●今がディストピア

 情報技術と社会のあり方に詳しい東京大学特任講師の江間有沙さんはこう話す。

「ネットやコンピューターなどの情報技術は私たちが気付かないうちに、社会に入り込んでいます。便利や安心の名のもとに監視や管理が進んでいたり、行動が誘導されていたりする。その現状を一歩引いて外から見た人が『これは今がディストピアなのでは?』と指摘し、それが納得されてしまう状況自体がディストピアといえるのではないでしょうか」

 みんなが幸せになるユートピアを目指しながらもディストピアになってしまうのがディストピア小説の世界だ。ディストピア小説を読むことで、現実世界ではそうならないように、という学びが得られるのかもしれない。(編集部・長倉克枝)
AERA 2017年2月27日号