日本が侵攻を受けて始まった戦争は1274年と81年の蒙古・高麗連合軍の襲来だけだ。モンゴル帝国を日本が撃退し得たのは、「神風」によるものではない。鎌倉武士団の勇戦もさることながら、海に囲まれた地理的優位によるところが大きい。

 日本と並ぶ島国の英国も防衛上有利で、ヨーロッパ大陸を席巻したナポレオン、ヒトラーに制海権、制空権で対抗し、侵攻を防ぎえた。小型の武装商船が主体だった英海軍が1588年、スペイン「無敵艦隊」による英国攻略を阻止し、無敵艦隊が嵐で壊滅したのは、日本の蒙古襲来の撃退と似ている。

 だが英国も日本と同様、海外に属領、勢力圏を拡大した結果、各地で戦うこととなった。アイルランドを占領して長く反乱、テロに悩まされ、米国独立戦争で苦杯を喫し、インドや南アフリカで苦戦した。

 航空機の発達や弾道ミサイルの出現で、地理は軍事上絶対的要素ではなくなった。島国の防衛上の利点は減じたとはいえ、渡洋侵攻の困難さは変わらない。1個師団(1万~2万人程度)と装備、車輛の輸送には50万トン以上の船腹が必要だ。例えば160万人の中国陸軍も、幅約150キロの台湾海峡を渡って送り込める兵力は2、3万人と見られ、13万人の台湾陸軍の制圧は不可能に近い。

●領土喪失し経済大国に

 日本は第2次大戦で台湾、南樺太、朝鮮半島などの属領を失い、事実上統治下にあった満州を含むと領土の約80%を失ったが、1968年に戦前夢にも思わなかった世界第2位の経済大国になった。属領の防衛費や行政経費、インフラ整備などの出費を免れ、産業の振興に資金と努力を集中できたことが成功の主因だろう。

 商船の巨大化で海運のコストが著しく低下し、資源も国内より海外から買うほうが安くなり、工場が海岸に立地する島国の利点が発揮された。いまや国力の源泉は領土ではなく、労働力の質と量、技術、資本、経済体制、海外市場(すなわち友好関係)などであることを示した戦後日本の成功例は、「地政学」を論じるに当たって忘れてはならない点と考える。(軍事評論家・田岡俊次)

AERA 2017年2月20日号

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