戦後の日本では、死を賛美した戦前のトラウマもあり、高度成長期を中心に圧倒的に第3の唯物論的な層が強くなった。その典型が団塊世代といえよう。時代が下って、もう一度、根底にある伝統的な死生観を再発見、再評価する時代になっているのではないか。
●連続化する「夢と現実」
「伝統的な死生観」と述べたが、実はこうした方向は、意外にも現代科学の新たな展開と共振する。それは「リアルとバーチャルの連続化」と呼べる現象だ。
いわゆるAIや情報技術などが高度化する中で、「マトリックス」や「インセプション」といった映画が描いてきたように、“現実とは脳が見る(共同の)夢に過ぎない”という世界観が浸透し始めている。つまり何がバーチャル(仮想的)で、何がリアル(現実)かの境界線が曖昧(あいまい)になり、一連の地続きとなっているのだ。一見すると、若い世代に特有であるかのように見えるが、そうともいえない。すなわち、超高齢化の進展という全く別の文脈からも、これに類する現象が起こっているのだ。それは認知症などを持つ高齢者層が急速に増える中で、「夢と現実」の境界線が、別のかたちで揺らいでいるという状況である(私はこのことを、認知症気味の母親に接する中で身近に感じるようになった)。
情報技術の進展と高齢化という異質なベクトルの中で、「リアルとバーチャルの連続化」が進み、ひいては科学と宗教の境界線が薄らいでいく。高度成長期には確固たるものに見えた唯一の「現実」が多層化し、“夢と現実”がクロスオーバーしていく。こうした根本的に新しく、同時に“なつかしい未来”と呼びうる、時代の構造的な変化が到来している。日本人の死生観は、その変化のただなかにあるのではないか。(広井良典さん寄稿)
※AERA 2017年1月16日号

