思想家・武道家の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。
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カジノ法案が審議らしい審議なしで猛スピードで成立した。このようなプロセスに国民の大方はもう慣れ始めた。国会は国民の代表が英知を結集して、国のかたちを議する国権の最高機関のはずである。けれども国会にそのような威信を認める人々は急速に減りつつある。
特定秘密保護法、安全保障関連法、TPP、カジノ法案と国会審議の空回りと強行採決が繰り返されているうちに、私たちには「国会審議は『民主的な手続き』のアリバイ作りのための茶番であって、議員たちは執行部の指示に従って立ったり座ったりするだけのロボットのようなものだ」という拭いがたい印象が刷り込まれてしまった。
「国会は機能していない」と嘆く点では与党支持者も野党支持者も、右翼も左翼も変わらない。戦後71年、国会の威信が今ほど低下した時代を私は知らない。
だが、この国会軽視は周到に準備されたものだ。委員会での安倍首相の投げやりな答弁やせせら笑いは、彼が国会審議をできればせずに済ませたい不愉快な義務だと感じていることを国民に周知させた。おかげで、日本国民は国会で何が起きようともそれに対して真剣な態度で臨むことに気後れを感じるようになった。質疑中に時間があまったので般若心経を唱え出した議員がいたが、それに本気で腹を立てる人がいなくなるほど国民の国会に対する「期待」は空疎なものになったのである。