最近、気の利いた飲食店で日本ワインを目にする機会が増えていないだろうか? 甘くてジュースのようなかつてのイメージが裏切られる本格派揃いだ。生産者と料理人の現場を訪ねた。
東京・銀座の片隅にある路地に、「蔵葡(くらぶ)」というダイニングバーがある。店に一歩入ると、壁いっぱいにボトルが並ぶ。すべて日本ワインだ。この200種類以上のワインの品ぞろえを目当てにやってくる40~50代の仕事帰りの男女で、店は連日にぎわう。
「日本ワインは、ワイン自体が優しく、だしの味に合う」というシェフの岩川直己さん(37)は、和食の料理人だ。
「日本各地のワイナリー巡りをするような詳しいお客様も増えてきましたね」
このところ、食や酒に感度の高い大人の間で「日本ワイン」がブームだという。テレビや雑誌で最近しばしば目にする「日本ワイン」という言葉、そもそも何を指すのかご存じだろうか。「国産ワインでしょ」と答えたあなた、ちょっと違います。
●「国産」ではなく
「国産ワイン」という呼び方には、長い間、日本国内で造られているかぎり、原料に、より安価な輸入果汁を使っていたり、輸入ワインを混ぜたりしたものも含まれてきた。
本来の意味での「国産のワイン」の定義を明確化するために、昨年10月、国税庁は、表示ルールを策定。「日本ワイン」は、「国産のブドウのみを原料として日本で製造されたワイン」と定められた(適用は2018年から)。
国税庁の調べによると、日本で稼働しているワイナリーは約220軒。そのうち約80%は年間生産量が10万本を切る小規模ワイナリーだ。ブドウの栽培から醸造までを一貫して手掛け、農薬や添加物の使用を極力減らすなど、自身の哲学を実践しようという小規模ならではの生産者も増えてきている。「日本ワイン」という言葉が、「ジャパンクオリティー」を示すブランドとして戦略的に使われるようになった背景には、こうした品質にこだわる生産者の存在があり、またその姿勢への共感が、今の「日本ワインブーム」を支えている面も大きい。
●ワインツーリズム実践
ワイン専用ブドウの収穫量では全国一を誇る、長野県の例を見てみよう。00年以降、それまでの15軒から32軒と、ワイナリーの設立数も急増中だ。
なかでも、軽井沢から千曲川沿いに広がる「千曲川ワインバレー」と呼ばれるエリアは、個人ワイナリーの参入がめざましい。エッセイストで画家の玉村豊男さん(71)は、1991年からこのエリアにある東部町(現・東御[とうみ]市)に移住し、ワイン用ブドウの生産を始めた。現在、「ヴィラデスト ガーデンファーム&ワイナリー」のオーナーで、「信州ワインバレー構想推進協議会」の会長も務める。
千曲川を挟んで広がる河岸段丘を、「千曲川ワインバレー」と名付けたのは玉村さんだ。
「12年ごろから意図的に、そう呼ぶようにしていた。それが阿部(守一)知事の耳に入り、13年、県が打ち上げた『信州ワインバレー構想』へとつながったんです」
「信州ワインバレー構想」は、米カリフォルニアの銘醸地、ナパバレーになぞらえ、ブドウ畑の中にワイナリーが点在する風景をつくり、ワインツーリズムを盛りあげていこうというもの。ほかにも、「日本アルプス」「桔梗ケ原」「天竜川」と、県内に合計四つの「ワインバレー」を形成しようという壮大な計画だ。
玉村さんが「ワインバレー」という言葉を使い始めたのには理由があった。
もともと、東御市は生食用の巨峰の名産地。玉村さんが標高の高い山の上でワイン用ブドウを植え始めたときは、地元のだれもが懐疑的だった。
しかし、05年、「ヴィラデスト」のワインがコンクールで受賞し、国際会議の場などでも供されるようになったころから、ワイン用ブドウの産地としても名が知られるようになり、08年、東御市は、長野県で最初のワイン特区に認定された。
「特区をきっかけに個人ワイナリーがふたつできた。でも、ワインをつくりたい、と外から来る人たちが、急に増えたのは、11年の震災以降ですね」
と玉村さんは言う。
「震災を機に、『子どもは田舎で育てたい』『自給自足の暮らしをしたい』と考えるような比較的若い世代が増えた。でも、役所に新規就農の相談に行くと、地元のメイン産業である巨峰農家を勧められる。ワインをやりたい人たちがたくさん僕のところに相談に来るようになってね」
玉村さんは、そのあたりの事情を、『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点』(集英社新書、13年)という本にまとめ、ワインづくりを目指して集まってくる人たちを、「農業を中心とした新しいライフスタイル」の実践者として位置付けた。