介護から子育てに変化

 ヘレンの存在は、障害児の親の就労を支えるばかりでなく、集団の中での子どもたちの成長を引き出している。経管栄養のため口に何かを入れるのが怖かった子が、他の子が食べて褒められている様子を見て、「僕も食べたい」と主張することもあった。遠藤愛園長はこう語る。

「お友だちと一緒に過ごす中で芽生える『やってみよう』というパワーは、食べる練習や歩く訓練以上にすごいんです」 

 開園して2年がたち、一般の保育園に転園する子どもも出てきた。遠藤さんは、今春、認可保育園に移った3歳の男の子の母親が、「ヘレンのおかげで介護から子育てに変われた」と語った言葉が忘れられないという。

 その母親は夜間の透析や経管栄養など24時間医療的ケアに追われ、我が子を「病気の子」としか見られなくなっていた。障害児の親は、看護・介護を優先し、子育ての時間が奪われがちだ。ヘレンの存在が、子どもたちに「母親」も取り戻した。

 フローレンスは15年に障害児訪問保育アニーも始めた。自宅に保育スタッフが訪問し、マンツーマンで日中の保育を行う。療育施設への送迎や近隣の保育園との交流保育も行っている。

 利用者の一人、新宿区の会社員、丸茂礼さん(44)は、長女・蘭ちゃん(5)を妊娠25週の超早産で出産した。487グラムで生まれた蘭ちゃんは、11カ月間NICUで過ごし、退院後も呼吸器と経管栄養が必要だった。1年半の育休と1年間の介護休暇、第2子の産休・育休と制度をつないで看護している間に、蘭ちゃんの呼吸は安定し、呼吸器も外れた。鼻のチューブも、日中は注入の必要がなくなり、保育園に通えるだろうと思った。

●お母さんは万能でない

 復職期限だった15年4月に向けて「保活」をしたが、チューブをつけていることを理由に、問い合わせたすべての保育園から入園を断られた。自分の給与の中から医療ケアのできる保育スタッフを雇おうと面接を重ねたが、保育時間や保育料などの条件面で折り合いがつかず、あきらめたという。辞表を覚悟していたとき、アニーの存在を知り、飛びついた。

 子どもの成長は期待以上だった。保育園入園の壁となった「鼻チューブ」は小学校入学までの3年間で外そうと考えていたが、担任の山下明さん(28)が毎日コツコツと水分摂取にトライしてくれて、たった半年で外すことができた。言葉や動きもよく出るようになった。

「アニーがあって、職場に戻れた。それ以上に蘭の成長がうれしい」(丸茂さん)

 前出の近藤さんは言う。

「日本の社会は障害児のケアをすべて母親に背負わせようとしますが、『お母さん』は万能ではないし、子どもは他人とのほうが、甘えがない分成長できることも多い。社会的基盤の充実があって初めて、親は子育てができるのです。どんな地域に生まれても、どんな子どもであっても、安心して子育てできるように支援することが国と地方公共団体の責任です」

 子どもに障害があっても、社会のあり方次第では、安心して産み育てられるはずだ。(編集部・深澤友紀)

※この記事はAERA2016年10月17日号からの集中連載「障害者と共生する」の第2回です
AERA 2016年10月24日号