道下美里(39、三井住友海上)が日本盲人マラソン協会の担当者から「パラリンピックを目指しませんか」と声を掛けられたのは、2012年の師走だった。
「当時、私は中距離の選手で、トラック競技でパラリンピックを目指していました。ところが、身長も小柄(144センチ)だし、なかなか世界と戦うことは難しかった。マラソンなら夢の舞台に立てるかもしれないと思い、挑戦することに決めました」
しかし、世界的に競技人口の少ない視覚障害の女子マラソンは正式種目ではなく、リオで採用されるかどうかも未知数だった。それでも道下はクラウドファンディングで遠征費を集め、海外レースにも積極的に挑戦。昨年6月に正式種目に決定すると、日本代表に内定した。
道下は中学2年生の時に右目の視力を失い、25歳で発症した病によって左目の視力も0.01以下しかない。日差しが強い日などは全盲に近く、伴走者のサポートがなければ42.195キロを走り抜くことはできない。
「(練習拠点である福岡県の)大濠公園での練習は9人の伴走者に協力をいただいています。個人種目ではありますが、多くの支えがあって走ることができる。感謝してもしきれません」
気温が30度を超える中、7人がエントリー(完走は5人)したリオ・パラリンピックでは、序盤に出遅れたが、後半に追い上げ、3時間6分52秒のタイムでゴール。銀メダルに輝いた。
「悔しい気持ちも強い。帰国して、家族会議をしたんですけど、4年後の東京を目指す許可を主人にいただきました(笑)」
その第一歩として、年末の防府読売マラソンで世界記録樹立を目指すという。(ノンフィクションライター・柳川悠二)
※AERA 2016年10月17日増大号