浜松医科大学で医療法学を教える大磯義一郎教授(41)は、早稲田大学法科大学院の1期生だ。父が弁護士、父方の祖父が裁判官、母方の祖父も弁護士、とまさに法曹一家だったが、自身は99年に日本医科大学を卒業した。横浜市立大学病院の患者取り違えや、都立広尾病院の薬誤投与など医療事故が立て続けに起こり、医療不信が声高に叫ばれるようになった年に当たる。
いま取り組んでいるのが、医療訴訟のデータベースの分析だ。医療事故では、患者と接する時間が長く、最終行為者となる若い医師が、当事者となることが多い。「同種の事故を防ぐことで、患者はもちろん、現場の若い医療従事者も救いたい」と考えたのだ。医学生への法学の教育に没頭する傍ら、週1回は内科のクリニックで診療も続けている。
●森鴎外から続く道
作家兼医師の草分けは、陸軍軍医のトップにまでなりながら、旺盛な作家活動を展開した森?外だろうか。その?外に続けとばかり、その後も文壇に進出する医師は多い。
現代の医療ミステリーの旗手で、15年秋に『破裂』『無痛』と相次いで作品がテレビドラマ化された久坂部羊(くさかべよう)氏(61)もその一人だ。
作家を夢見る青年だったが、医師である父の勧めで大阪大学医学部に進んで外科医に。手の施しようがないがん患者への関心が薄くなりがちな大学病院で、緩和医療という言葉もない時代に手探りで終末期医療に挑む毎日。疲れ果て、海外をめざして外務省の医務官に応募。9年間の在外公館勤務という珍しい経験をまとめたエッセーが、本格的に作家デビューするきっかけになった。
さらに帰国後、リハビリテーション施設や在宅医療で高齢者と向き合った経験から、虚構の世界を通じた問題提起をしようとの思いにつながった。『破裂』では、役人が高齢者を抹殺するという極端な世界を提示して反響を呼んだ。
徐々に軸足を作家業に移したが、今も週1日、クリニックで非常勤勤務を続ける。「医師として育ててくれた人に報いる意味でも、責任を果たせる範囲で、診療は続けたい」
TBSのテレビマンから医師に転身したのが、帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏(69)。32歳で九州大学医学部を卒業し、精神科医院を開業。ギャンブル依存症の専門診療などに取り組みながら、作家業を続けている。『閉鎖病棟』(山本周五郎賞)のほか、『生きる力 森田正馬の15の提言』のような精神医学の専門書もある。