08年に急性骨髄性白血病に倒れて入院したとき、生まれて初めて「3食昼寝つきの専業作家」になって、無菌室で『水神』(新田次郎文学賞)を書き上げた。快癒した後も年1作のペースを守り、テーマは医療にとどまらず、社会派の意欲作を送り出す。
執筆には、医学を学んだ経験が大きく生かされている、と思っている。「まず患者を観察し、次に病気の由来をたどりつつ、資料を調べるなどして自分なりの考察を出す」のが医学なら、執筆でも書きたいテーマをよく見て、調べ、最後の段階で自分なりにそのテーマを「揺さぶってみる」ことが不可欠だからだ。
医師としての診療は、よろず相談のようでも患者の役に立っていると思えるので、80歳ぐらいまでは続け、そして「小説家としては、遺言のつもりで1作品でも多く残せたら」と考えている。
●薬の「掲示板」で急成長
起業を志す医師もいる。医師専用SNSのメドピアを起こした石見陽氏(42)は、現役の医師兼経営者。同社は今や医師会員10万人余りを抱えるまでに成長し、14年には東京証券取引所マザーズ市場に株式上場を果たした。
母方の祖父、伯父、いとこと医師の多い家系に生まれた。2歳上の兄も医学部に進み、医師は身近な存在だった。99年に信州大学医学部を卒業し、循環器内科を専門に据えた。
最初の起業は、大学院時代。研究で病棟勤務を一時的に離れることになり、空いた時間で、医師向け求人サイトを束ねるポータルサイトを立ち上げた。ITブームにも乗って順調に業績を伸ばし、それを元手に07年、医師同士が診療について自由に意見をやりとりできるサイトをオープンさせた。
その翌年から、社長自ら学会を行脚して会員を勧誘した。出版社とも提携して会員が増えたところで、勝負に出た。グルメサイトの「薬版」とばかりに、医師向けに薬の口コミ掲示板を設けたのだ。そこに製薬会社が広告を出してくれるようになり、一気に利益体質に転換した。