銀行から300万円を借りてマシンや防球ネットを買いそろえ、休日には朝6時前から夜8時までの猛練習を課し、06年には春夏連続で甲子園に出場した。

●島内の野球環境一変

 八重山商工の甲子園出場を機に、島内の野球環境ががらりと変わった。大嶺をドラフト1位で取った千葉ロッテが石垣島で春季キャンプを始め、プロのプレーを間近で見られるように。高校野球でも、八重山商工と対戦したいという学校が石垣島で合宿し、島内でも強豪校と練習試合ができるようになった。

 そうした表面上の変化だけでなく、伊志嶺がもたらした最も大きいものが「自信」だ。大嶺も10年前を振り返ってこう言う。「僕は自分自身の評価がずっと低かったんです。でも監督がチャンスをくれ、自信を持って人生を切り開くことができた」

 ほかの子どもたちにも「島にいても夢はかなう」という意識を根づかせた。八重山高は、昨年秋の県大会を制し、九州大会ではベスト8。今年のセンバツではあと一歩届かなかったが、最後まで有力候補とみられていた。

 伊志嶺は学校側の意向を受けて、この夏での勇退を決意。背景には、高校野球界で近年、「効率のいい練習」や「勉強との両立」といったスマートさが求められるようになったことがある。野球以外のものを犠牲にし、猛練習を重ねて「甲子園」という重い扉を開こうとするやり方は、もう役目を終えたということか。八重山商工は7月10日の沖縄大会準々決勝で惜敗し、伊志嶺の「夏」は終わった。

 だが、伊志嶺の野球への情熱はまったく冷めていない。

「野球を指導できるなら、少年野球でも中学野球でも、どこでもいくよ。ただ、寒いところは厳しいかな(笑)」(文中敬称略)

(編集部・深澤友紀)

AERA  2016年8月1日号