大学卒業後、青森県内の病院で勤務していた蟻塚さんに転機が訪れたのは04年。親交があった医師に誘われ、沖縄の病院に移った。そこで「奇妙な不眠」を訴える高齢の患者に出会う。
「長年、精神科医を続けてきて、診たこともない奇妙な不眠だった」
不眠には、眠りに入れない「入眠困難」と、夜中に目が覚める「中途覚醒」がある。しかし、沖縄の高齢者たちの不眠は夜中に何度も目が覚める不規則なタイプだった。こうした不眠の症状はうつ病に現れる。このため患者たちは長年、「うつ病」と診断されていた。
ところが、不眠以外の患者の症状を丹念に聞くと、うつ病とは診断できない。蟻塚さんはそう判断し、別のアプローチで治療方法を探り始めた。
「戦争」に対する関心が強かった蟻塚さんは、沖縄に来てから沖縄戦に関する勉強に真剣に取り組んでいた。その中で、特に印象に残ったのが、集団自決(強制集団死)だった。講演会で体験者の話を聴く機会があり、集団自決は心理的な視野狭窄状況の下、皇民化教育という特殊な圧力が加わって起きたのではないか、と考えるようになっていた。
●脅かされるのは睡眠
戦争という極限状態が人間の精神に与えるダメージは計り知れない──。そう認識していた蟻塚さんは戦争体験によるPTSDと不眠の関連に着目し、欧米の研究論文を読みあさった。アウシュビッツ収容所からの生還者の精神状態を調査した米国の研究者の論文に、「奇妙な不眠」と酷似する症例が見つかった。
「PTSDの患者は、トラウマ(心的外傷)の記憶が暴れて自分のメンタルに侵入してきます。そのとき最も脅かされるのは睡眠です」
蟻塚さんは不規則な不眠を訴える患者一人ひとりに、「沖縄戦のときにどこにいましたか」と尋ねた。
「(沖縄戦の激戦地の)摩文仁の丘を家族と一緒に逃げ回った」「機関銃で撃たれた妹が、はらわたを出して終日泣きわめきながら死んでいった」。凄惨な記憶があふれ出てきた。