真田幸村を魅力的に描いた大河ドラマ「真田丸」。人気を集める同ドラマだが、今後注目なのは大坂夏の陣での幸村の動きだ。その心のうちを、真田丸の制作統括・屋敷陽太郎さんはこう読み解く。
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大河ドラマ「真田丸」のベースにあるのは、人間性です。僕たちは、信繁(幸村)が後世で有名になったからといって、彼を超人として描くつもりはまったくありません。戦国時代に生きた普通の青年が、戦国の世でどう成長していき、最期の大坂夏の陣の一瞬までどう生き抜いたかを描きたい、そう思っています。
「真田丸」後半の見どころは、大坂城に入った信繁が立身出世しながら天下のことを学んでいく点です。当時の大坂城には豊臣秀吉はじめ、石田三成、大谷吉継、加藤清正ら、当時の日本を代表するスーパースターがそろっていました。名を成した人は、才能もあり魅力的だったはず。信繁は、そうした人たちのいい面、悪い面を観察しながら、成長していくんでしょう。
信繁一番の謎は、最後の大坂の陣でどうして豊臣方についたかだと思っています。豊臣家から賜った恩義に報いるため、負けるとわかっていながら大坂城に入ったと言われています。しかし僕は、彼にそんな悲壮感はなかったと思います。関ケ原の戦いの後、信繁は14年間、紀州の九度山に蟄居(ちっきょ)します。ずっと暇を持て余していました。そんな時、声をかけられ、役目を与えられたらうれしいですよね。僕も誰かに頼られることや、与えられた仕事があるって幸せだなあって思います。信繁もそうだったのではないでしょうか。「よし、俺が行って何かしよう」って。そんな思いが、彼を突き動かしたのだと考えています。
でも、ドラマではどうなるか──。台本もまだできていないので、その時まで一緒に考えていただけたら、うれしいですね。
※AERA 2016年5月16日号より抜粋