イスラム国により殺害された、ジャーナリストの後藤健二さん。彼を知る人は、その行動の背景などについてこう話す。
シリアでの取材経験があり、後藤さんとも交流があったジャーナリストの安田純平さんによれば、2014年1月、後藤さんはシリア北部の都市アレッポで、イスラム国とも協力関係にあるアルカイダ系の武装グループ「ヌスラ戦線」に一時拘束されたことがある。この時は後藤さん自らが交渉した末に解放され、取材許可証まで得た。
「こうした経験が逆に、イスラム国が相手でも行けばなんとかなるだろう、という思いを生んだ可能性はあります。湯川さんのこともあり、いつもの冷静な判断ができない状況にあったのではないでしょうか。イスラム国側から『湯川さんの通訳を務めてほしい』『湯川さんに会わせる』といった接触があったとも考えられます」
安田さんはこうも指摘する。
「後藤さんは慎重な人だったが、ジャーナリストや記者たちとのヨコのつながりが薄かった。イスラム国とのパイプがあるジャーナリストらとも連絡をとっていなかったのではないか。通常なら、そうした経験者から取材のノウハウを得たいと思うのですが。イスラム国入りするには、トルコなど周辺国に滞在しながら、許可が下りるまで待つというのが取材の常識。後藤さんはそうした情報を十分把握していなかった可能性がある」
後藤さんがシリアに向かう数日前の10月中旬、後藤さんの友人でたまたまテレビ局内で会った同局関係者は、後藤さんがとにかく慌てていた、と話す。
「ゆっくり話したかったのですが、彼は相当忙しそうで、自分の名刺に『戻ってきたらぜひ一献!』と書いて私の机に残していきました。後藤さんは売り込みも熱心で、人付き合いのいい珍しいタイプの戦場ジャーナリスト。最近は奥さんとの結婚生活も軌道に乗り、幸せ太りしていたので、映像でガリガリにやせていたのを見て、なおさらショックを受けました」
※AERA 2015年2月16日号より抜粋