有名企業に就職するにはどうしたらいいか――。英語と教養を教えるJ PREP斉藤塾代表の斉藤淳さんは、子どもたちからこんなことを聞かれることがあるという。斉藤さんは、将来のためには「教養」を身につけることが大切だといい、次のように話す。
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「アップルやグーグルに入社するためにはどんな勉強をすればいいですか」
子どもにそう聞かれることがある。その子が大人になったとき、これらの企業が存在しているかどうかもわからないのに。
必要なのは、「企業に入社する力」ではなく、「ゼロから考えて新しい価値を発見したり、つくり出したりすることができる力」。時代を生き抜く力の土台になるのがリベラルアーツ、つまり「教養」だ。
教養を身につけるには、専門にとらわれず自由に学ぶことだ。ぼくの専門は「政治学」で、イエール大学でも教えたが、大学生時代は五つのゼミを掛け持ち、あらゆる分野の学問を学んだ。高校時代に独学したコンピューターのプログラミング言語は、研究で統計分析をする際に役立った。洋画を見ながら英語のスピーキングを練習したことが、留学後に役立ったことは言うまでもない。すぐには使わなくても、いつ他の学びや仕事とつながるかわからないのだ。
日本の教育制度でも、教養を身につけることは十分に可能だ。科目として総合学習の時間が設けられたが、そのような表面的なことではなく、実質的にどのように学ぶかをつぶさに分析する必要がある。日本の学生たちにとって、学びのゴール、つまり「学びの動機」は入学試験。学校の教養教育は、それと乖離したところにある。
入試をパスするためだけにノウハウ化された勉強をすることは、料理をせずにバランス栄養食を食べ続け、栄養は取れても料理の味がわからない人になるようなものだ。
正解か不正解かのペーパーテストで評価される癖がつくと、とにかく暗記をすればいいという学習態度が身についてしまう。他方で集団の学習に貢献することの意味は、ディスカッションの場で発言する経験を積むことで分かることが多い。日本人が国際会議で何も発言できないのは、ペーパーテスト至上主義の入試にも問題がある。答案に何を書くかでしか評価されないから、学びの共同体に貢献しようとする意識が育たず、非常に利己的な学習態度に陥りがちだ。
※AERA 2014年11月17日号より抜粋