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ニール・ヤングがこれまでに発表した公式作品のすべてを、制作が開始された順に紹介していく。それがこの連載コラムの基本スタイルなのだが、今回は例外。1977年に発売された、ニール自身の選曲によるコンピレーション・アルバム、3枚組(アナログ盤当時。CDでは2枚組)の『ディケイド』を取り上げる。70年5月録音のシングル「オハイオ」(名義はCSNY)を最初に正式な形で収めたニールのアルバム、ということがその理由だ。
『ディケイド』には、バッファロー・スプリングフィールド結成直後の66年に録音された「ダウン・トゥ・ザ・ワイアー」(未発表曲)から、スティルスとのバンドで76年に録音した「ロング・メイ・ユー・ラン」まで、35曲が収められている。ニール・ヤングが、いかにも彼らしいアプローチでレコーディング・アーティストとしての最初の10年間=ディケイドを総括した、ベスト・セレクション・アルバムだ。
「鉛の兵隊とニクソンがやって来る」という刺激的な歌詞で幕を開ける「オハイオ」をニールに書かせた出来事は、70年5月4日、オハイオ州立ケント大学で起きている。カンボジア侵攻に反対する活動を行なっていた学生たちに州兵が発砲し、無関係の学生を含む4人が死亡、9人が負傷したという悲惨な事件だ。強い衝撃を受けたニールはすぐに曲を書き上げ、21日にはCSNYとしてスタジオに入り、ほぼライヴに近いスタイルで仕上げた。レコード会社も精力的に動いて、翌月にはレコードが店頭に並べられた。そして、全国のDJがいわゆるヘヴィ・ローテーションでかけまくったのだった。現在では考えられないことだ。
『ディケイド』の手書きライナーによれば、ニールにとって「オハイオ」はCSNY時代のベスト・カットだという。彼自身にとっても、文句なしの代表曲である。しかし、こんなことで金を得ていいのだろうかと、自問自答することもあったという。だから、軽々しくは歌ってこなかったが、天安門事件の直後にはすぐセットに加えたりしている。ニールはそうやって、自分の分身である歌と向きあってきたのだ。[次回6/3(月)更新予定]
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