社会学者・詩人水無田気流さん(43)1964年、若い東京が目指した「高さと速さ」では頭打ち。7年後は「“ローカル、質、コンパクト”がキーワードになるのではないか」(撮影/高井正彦)
社会学者・詩人
水無田気流さん(43)

1964年、若い東京が目指した「高さと速さ」では頭打ち。7年後は「“ローカル、質、コンパクト”がキーワードになるのではないか」(撮影/高井正彦)
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ライター大野更紗さん(29)「7年後には、どういう難病や障がいのくじをひいても、最低限、絶望しないで生きていける社会になっていたらいいなぁ」(撮影/写真部・慎芝賢)
ライター
大野更紗さん(29)

「7年後には、どういう難病や障がいのくじをひいても、最低限、絶望しないで生きていける社会になっていたらいいなぁ」(撮影/写真部・慎芝賢)

 7年後に二度目の五輪開催を迎える日本。一回目の1964年当時から、日本の社会や価値観は大きく変化した。

 社会学者の水無田気流(みなしたきりう)さん(43)は、この50年あまりの間に起きたことは幸福感の変化だったと指摘する。

「成熟した社会では幸せは個人化する。幸せのあり方は人それぞれ、その分共通認識を持ちづらい。しかし、男性なら『正社員になれば安泰』、女性は『結婚して主婦になるのが幸せ』というロールモデルしかなかった時代は安定していたが不自由。私は、不安定であっても、選択肢が多いほうが幸せだと思う」

 成長を知らない世代が新たな幸せの価値観を見いだし始めた矢先に起きたのが、脱デフレと成長戦略を唱える安倍政権の発足と東京五輪開催決定だった。日本がかつて経験した“あの栄光の時代”をもう一度、という空気も広がるなか、幸せも再び同質化していくのだろうか。

 24歳で原因不明の自己免疫疾患を発病した大野更紗さん(29)は、闘病しながら大学院で難病の歴史について社会学的に研究している。電動車椅子で大学まで通うこと自体、彼女にとっては「社会的な実験」だ。道路の段差ひとつにつまずくたびに、日本は経済成長の陰に障がいや病気を持った人を排除してきた、と感じる。それは女性や若者についても同じだ。

「それは、そういう人には社会に参加してもらわなくていい、という考え方だったからでしょう。その結果、日本が失ったものは大きい。私たちって、団塊の世代が置き去りにしてきた課題に向き合わざるを得ない世代なんです。少子高齢化で労働人口が減り、そういう人たちの力も借りざるを得なくなる。私は全然、悲観していませんよ」

 大野さんがさらに可能性を感じているのは、自ら前を向いて社会を変えようとしている人たちの多さだ。今の政治を見ていると、お金がないと何もできないと考えているのではないか、という疑問がわくが、

「お金がなければマンパワーで補えるかもしれないし、マンパワーがなければアイデアやテクノロジーでカバーできるかもしれない。その可能性は十分ある」

 以前、目に見えない病気や障がいについて、ツイッターで「どうしたら可視化できるんだろう?」とつぶやいたところ、あっという間に「バッジを作ってはどうか」というアイデアが寄せられた。さらに、「自分はデザインができる」という人や「安く作ってくれる工場を知っている」という人が集まってきたという。結果、「大切なものは目に見えない」というコピーを書いた「見えない障害バッジ」ができた。すでに2万個が配布、販売されている。

AERA 2013年11月11日号より抜粋