芥川賞受賞作『共喰い』が映画になった。原作者で作家の田中慎弥をうならせた「共喰い」の魅力とは。田中氏と青山真治監督が語りあった。
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──舞台は昭和63(1988)年夏の、山口県下関市にある、川から異臭が漂う小さな町、川辺。主人公の高校生・遠馬(菅田将暉)は、「セックスの際に女を殴る」性癖のある父・円(光石研)と愛人・琴子(篠原友希子)と暮らしていた。母・仁子(田中裕子)は円の暴力に耐えかね、遠馬を産んですぐ彼を置いて家から出て行った。父を疎みながらも、いつか自分も父のように女を殴るのではないかと不安を抱える遠馬は、幼なじみの千種(木下美咲)と何度も交わるうちに、父と同じ血が流れていることを自覚していく。
田中:僕は映画が好きなので、いつか自分の小説が映画になればと思っていましたが、こんなに早く話が来るとは。スクリーンに明朝体のダーンとしたタイトルが出た時は、市川崑の映画みたいだと思いました。原作者の生意気かもしれないですけど、きちんと作品の世界を損なわずに描いてくださって嬉しかったです。
青山:僕は小説を読んだ時、冒頭から全部映像が頭に浮かびました。田中さんが下関市、僕が北九州市の出身で目と鼻の先なんですが、そういう縁もあり、映像として浮かんできたところがたくさんあったんです。
田中:光石さんも福岡のご出身で映画は九州の方ばかり。でも、やっぱりこの映画はあの土地でなきゃ。下関で撮影なさったんですよね。
青山:はい。舞台となる川を求めて散々走り回りましたよ。地図上の川は全部見たんです。ちょっと北の方に行ったりもしましたが、今、小説のような川は一本たりともない。小説家って本当に嘘つきだよね(笑)。
田中:映画をつくる側としては本当に苦労するところなんでしょうね。川が鍵になっているような物語で、それなのにその川がないなんて、どこで撮ったらいいのかって。
青山:そう。潮が上がってくる感じをなんとしてでも撮りたいと思いながら探していたので。
田中:よくぞあの川があった。
青山:そうなんです(笑)。門司の東側ですね。下関の海峡側から見た時の日の出のあり方を意識しました。海側から日が昇ってくる。潮もそちらから上がってくる感じ。とどまるところを知らない生命力みたいなものがこの映画には必要でした。
田中:映画と小説の一番の違いは、なんといっても役者さんの存在感ですね。とにかく菅田将暉君が素晴らしい。父親役にベテランの光石さん、母親の仁子に田中裕子さん。光石さんは本当にろくでもなかった。
青山:この映画は光石さんご本人が「ろくでもない人間をやりたい」と自ら進めた企画でもあります。本当に思い入れがあって演じていらっしゃいました。
田中:女性陣は小説より映画のほうがかわいらしい。木下さんも篠原さんもものすごく美形です。私はお二人の役をあんまりかわいくない女性として書いてしまったので、それを映画が救ってくれた。監督は最初からかわいい子を選ぼうと思っていたのですか。
青山:いいえ。僕はオーディションの時からずっと迷っていました。でも、原作の中にある痛々しさみたいなものがどうやったら出るかを、あれこれ考えた末のチョイスです。
田中:私は小説を親子の話として、父親と息子、母親と息子の話として書きました。映画ももちろんそういう展開ですが、物語は若い人間同士の話でもあります。そう考えると、木下さんのきれいな顔立ちの方が、若い人間の危うい部分を描くにはいいのでしょうね。若い時期にしかないひと夏の、昭和63年の夏を切り取るとすれば、やっぱりああいうビジュアルも必要だと思いました。
※AERA 2013年9月9日号