大学の新設をめぐって、田中真紀子文部科学大臣の発言などが物議をかもしたが、日本はたしかに大学数が多すぎるという。中には定員割れが続き、学生募集を中止する大学も出てきた。

 母体の学校法人の経営が安定していれば、学生が集まらなくなってもただちに経営難に陥るわけではないが、少子化の時代、大学新設はそれほど「うまみ」がある商売ではない。

 なぜ、次々に大学がつくられたのか。

 一つは、従来の短大、専門学校を廃止して、4年制大学に生まれ変わるケースが多かったからだ。リクルートキャリア(東京)特別研究員の海老原嗣生さんがこう解説する。

「慶應義塾大学、上智大学が看護系学部をつくるなど、4年制大学が次々に資格系学部を開設し始めた。そのなかで、短大や専門学校のままでいては学生を奪われ生き残れない、という危機感から、くら替えしようとした学校が多い。もともとある程度の校舎や教員というインフラが整っていますから、2~3年で卒業させてしまうより、それらを少し整備して、授業料を4年間集め続けたほうが得、という算段もあるでしょう」

 そこに、大学を誘致したい地方自治体や政治家との利害関係、そして「土地の名士たらん」とする学校法人関係者らの自己顕示欲、名誉欲が絡む。

「日本の弱小私学のかなりの部分はファミリー・インダストリーで、実質的なオーナー経営であることが多い。公的な教育機関である大学の運営の多くが、こうした私学によって行われている現状はおかしい」

 と指摘するのは、『大学の下流化』(NTT出版)などの著書がある、竹内洋・関西大学人間健康学部教授だ。

 本来、大学というのは、ある程度の学生規模を持ち、きちんとした図書館や校舎、充実した学内書店を持つ教養教育の場であるべきだ。だが、新自由主義者たちは、「そんな規制はいらない。質の低い大学はいずれ、市場が淘汰するからいいのだ」と主張し、「なんちゃって大学」の新規参入を増やしてきた。

「でも、途中で転学せざるを得なくなったり、出身大学が卒業後になくなったりする、『淘汰される大学の学生』の人生をどう考えるのか。それよりは、事前に参入の基準を厳しくしようという、真紀子さんの考えのほうが正論だと思う」(竹内教授)

AERA 2012年11月19日号