指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第11回は「水泳コーチになった転機」について。
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スペイン南部のグラナダに近い標高2300メートルのシエラネバダでの高地合宿は3週目に入りました。萩野公介、大橋悠依ら6人の選手は大きな故障もなく順調に練習をこなしています。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために安倍晋三首相が全国一斉の臨時休校を要請したことなど、日本のニュースは毎日ネットでチェックしています。卒業式が中止という学校も多いようですが、中学、高校、大学で水泳を続けて卒業を迎えた選手たちには、心よりおめでとうと言いたい。厳しい練習に耐えてやりとげた経験は、必ず今後に生きてくるはずです。
私が早大社会科学部を卒業したのは1986年。バブル景気の兆しがあり、大学生の就職は今では想像できないほど好調でした。大学4年のとき水泳部の主務とマネジャーを兼務した私は、給料がよくて学生に人気のあった大手有名会社の内定を得ました。
それでもずっと悩んでいました。水泳コーチになって五輪選手を育てたい、という夢があったからです。
大学2年の冬、OBのコーチと上級生から指名を受けて自由形短距離の選手からマネジャーになりました。水泳部は学生マネジャーが練習メニューを作るなど強化の中心的な役割を担っていました。しかたなく引き受けたマネジャーでしたが、これが人生の大きな転機になりました。
ロサンゼルス五輪を夏に控える翌84年に入部したのが現在、早大水泳部で指導を行っている奥野景介さんです。もう一人の有望新人とともに、その才能には目を見張りました。しかも全体練習を終えてから、自分で考えた強化練習をやりたいと言ってくるなど非常に積極的でした。
そんな努力が報われて代表選考会で番狂わせを演じます。五輪は無理だろうという大方の予想を覆して、男子400メートル自由形で1位になりロサンゼルス五輪の代表に選ばれたのです。