気になる人物の1週間に着目する「この人の1週間」。20年ほどの下積み時代や恩人との出会い……語り下ろしの自叙伝を上梓した俳優・寺島進さん。56歳。ヤクザ映画の強面はいつしか優しい顔に。その変化は、今の生活を映し出している。
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取材場所に現れると、小さなメモ帳を目前に置いた。表紙には小さな子どもが描いたような、かわいらしいイラストが。尋ねてみると、少し慌てた顔で、
「これ? 娘が描いてプレゼントしてくれたの」
と教えてくれたが、詳しく聞こうとすると、
「まぁ、いいじゃない」
とつぶやいて隠してしまった。
自分を語るのは得意じゃない。まして夫婦や子どもの話になると大照れとなる。そんな役者が自叙伝を記したのは、人生の後半戦に向け、自らを鼓舞するためでもあった。
「50代半ばになって、ここらで自分の歴史を振り返って、また進んでいくのもいいんじゃねぇかなって。うちは子どもが小さいから、あと20年はバリバリの現役で働かないといけないし」
じっくり考えながら語る。考えすぎて沈黙の時間が続くこともあるが、適当に語れないまっすぐさは、自叙伝に綴られた生き方そのものだ。
東京・深川、畳屋の次男坊。ヤンチャで目立ちたがり屋の子どもだった。美術が得意で中学時代は区から表彰されたこともある。「芸術」という言葉に惹かれ、三船プロの俳優養成所、三船芸術学院に進んだ。殺陣の授業に夢中になった。
「殺陣師が見せてくれた立ち回りがあまりにかっこよかった。演者でありながら裏方でもあるのも面白くて」
講師だった宇仁貫三さんに師事し、卒業後は宇仁さんが主宰する剣友会、K&Uで修業した。殺陣師が作る立ち回り通りに動いて“スターさん”に斬られたり、殴られたりというのが主な仕事だった。「太陽にほえろ!」や「ハングマン」の現場は何度も行った。「タッパ(身長)がないから」女性の代役もこなした。映画「帝都物語」では原田美枝子さんの吹き替えで槍を持って白馬で走った。
「挨拶の仕方から、先輩とのつきあい方、酒の飲み方、仕事の流儀、大事なことは、すべて剣友会で学んだ。俺の原点だね」
今も恩義に感じる心の故郷だが、一つの出会いが人生を大きく変えた。
「たまたま誘われて出ることになった舞台を主宰する人が松田優作さんと親しい人で。ある日、優作さんが稽古を見に来たの。そしたらなぜか俺を見て『いいな~』って褒めてくれて。『これ以上テンション上げるとクサくなるし、これ以上テンション下げると成立しないから、今日のテンションで本番まで持っていけよ』って。ビックリした。今まで芝居を褒められたことなんてなかったから」