スタイリストの草分けとして、戦後日本のファッションを牽引してきた原由美子さん。真っ白いスニーカーで、颯爽とあらわれた原さんは、「ここに呼ばれる日が来るなんて……」とポロリ。というのも、作家の林真理子さんのデビュー作『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で、原さんについて辛辣なコメントが綴られていた経緯があり──。
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林:私が若かりしころ、原さんにいろいろご無礼なことを書いたりして申し訳ありませんでした。
原:「おっ、こんなこと言われるんだ」と思って、一時はカッカ、カッカ怒ったけど、あれがきっかけで林真理子さんをしっかり覚えて、『最終便に間に合えば』で直木賞をとられたときは、すごいなと思って、事務所が近くだったのでお見かけしたら「おめでとう」を言おうと思ってたんですよ。
林:私、田舎の女の子を売り物にしてたものですから……。
原:だいぶ後に「プレシャス」(30、40代の働く女性向けの雑誌)の企画でお会いしたときは、すっかり大人で、母として作家としてご立派になられていて、今は尊敬しております。
林:私の成長を見ていただいて、ほんとにありがとうございます。原さんのこの本(『原由美子の仕事 1970→』)を読ませていただきましたけど、日本のファッションの歴史だけじゃなく、「アンアン」はじめ女性誌の歴史みたいなものも全部ご存じなんですね。
原:私が経験したものだけですけどね。「草分け」って言われるのに抵抗はあるけれど、「アンアン」が50年ですから、そういう意味では草分けかもしれない。
林:この本のオビにも「ファッションと雑誌に捧げた40余年」って書いてあります。
原:林さんが「ルンルン」とかいろいろ書いていたとき、私はひたすら雑誌のファッションページのことを考えていたわけだけれど、雑誌にあれほど勢いがあったときに仕事ができたことは感謝してます。読者のファッションに対する夢も、今の人より大きかったから、自分でも張り合いがありました。それに比べると今の雑誌は元気がないですよね。去年、雑誌の連載がふたつとも終わったので、今はかなり“いらない人”感と自分の年齢を痛感しています……(笑)。