「その頃の香港のプレスってひどかったんですね。たとえばホテルのレストランで皆で食事をしている時に、いきなりズカズカ入ってきて、バンバン写真を撮りだすんですよ」

 不快に感じた常盤さんに、レスリーが優しく語りかけてくれた。「どうせ撮られるんだったら、可愛いほうが良くない?」と。

「それで2人でニコニコしてポーズを取ったんです。そういうふうに考えを切り替えたら、メディアとの追いかけっこも面白く感じられて。下りのエスカレーターに乗っていたのに、途中で急に向きを変えて上り始めたり。すると向こうは大騒ぎで追いかけ始めます。そういう遊びを採り入れたことでメディアも面白がり、私たちの記事はどんどん大きくなっていきました」

 そのせいか映画はヒットし、人気も上昇。また香港映画界からオファーを受け、「ファイターズ・ブルース」(2001)ではアンディ・ラウと共演した。

 そういう形で20代を終えて30代になるや、映画「赤い月」(04)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。05年には初めて舞台に出演するなど、活躍の場を広げた。

「面白いと思えば、連ドラでも2時間ドラマでもやりたいんです。ただどの世界も保守的になってきたというか、いろいろと制約が多くなってきたと感じます。よりチャレンジしているところというと、インディーズ系の映画や舞台ですよね。結果として、そちらの出演が多くなってきているんだと思います」

 自分が納得するものを演じたい。そういう気持ちが強まってきた背景には、16年から2シーズン連続で出演したEテレ「旅するフランス語」でフランスに渡り、彼の地の人々と触れ合ったことがあるようだ。

「自分というものを持つということは、確実にフランス人から学んだと思います。100人いて、たとえ99人がノーだと言っても、私がイエスだと思えばイエス! 自分の意見を貫くことが怖くなくなりました。それがゆえに面倒くさいこともいっぱいあるんです。だけど大人の女性として、自分の意見は持つべきだと思います。せっかく大人になっちゃったからにはね」

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