そうした仲代さんの匠の技を、しっかり盗んだに違いない。
常盤さんは2017年にドラマ「やすらぎの郷」に出演し、昭和を代表する名優たちが、たとえ台詞を間違えてもアドリブで演技を繋いでいく姿を目のあたりにして衝撃を受けた。「台本に書いてあるものだけが台詞ではないんだと学びました」と語る。誰から教わるのでもなく、優れた先達の演技を観察し、採り入れていく。それが長く活躍する秘訣なのだろう。
デビューしたのは、19歳だった1991年。翌々年に初主演した「悪魔のKISS」で注目を集め、以後「愛していると言ってくれ」「理想の結婚」「最後の恋」などに次々主演。20代の頃は「連ドラの女王」と呼ばれた。
「毎クール続けて主演したことで、事務所は『女優を潰す気か』と非難をされたそうです。でも人間には、吸収する時期というのがあるんだと実感しています。私にとって20代はそういう時期でしたし、その時に修業をさせていただいて感謝しています」
突っ走り続けた「連ドラの女王」だったが、やがて漠とした不安を抱くようになった。「このまま続けていったのでは、自分の引き出しがなくなってしまう」と。そこで事務所の社長に直訴した。
「社長が『じゃあ何をやりたいんだ?』と聞いてくれたので、『映画、やりたいです』と答えました。私はここまでしか答えを用意していなかったのに、社長は『誰とやりたいの?』と。びっくりしたのと同時に、なんと答えればいいか考えて。その時パッと思いついたのが、レスリー・チャン(香港の俳優。2003年死去)でした」
咄嗟の思いつきで出した名前だったが、社長はレスリー側にアプローチをかけた。当時は香港をはじめアジア各国で日本のドラマが出回り、人気を博していた。レスリー側は常盤さんのことを知っており、ちょうど相手役を探していたという事情もあって、共演が決まった。
その映画「もういちど逢いたくて 星月童話」(99)撮影に当たって、常盤さんは多くのことをレスリーから学んだが、中でも面白かったのはメディアとの付き合い方だったという。