日本演劇界で“怪優”とも呼ばれる実力派俳優、生瀬勝久さん。演技のみならず、脚本、演出まで自身で手掛ける、生粋の舞台人です。そんな生瀬さんの芝居や演出の考え方、人生のモットーとは。作家・林真理子さんがうかがいました。
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林:生瀬さんはテレビも映画もずっと出ずっぱりという感じですけど、そのわりには、取材でプライベートはあまりお話しになってませんよね。
生瀬:僕のことはあんまり知りたくないみたいなので(笑)。
林:そんな、ひがまないでください(笑)。今日はいろいろお聞きしたいんですけど、私、生瀬さんはどちらかというと舞台の人というイメージが強いんです。
生瀬:もともとは舞台ですから。
林:辰巳琢郎さんの「劇団そとばこまち」(京都大学演劇研究会出身者を母体にした劇団)にいらしたんですよね。私、辰巳さんとは親しいんですけど。
生瀬:僕は京大じゃないんですが、別の芝居に出てたのを辰巳さんがたまたま見てて、「おまえ、ウチに入れ」って誘拐のように無理やり入れられたんです。
林:「そとばこまち」って関西ではすごい人気だったんでしょう?
生瀬:学生演劇ですけど、集客は2、3千人でした。
林:学生演劇で2、3千人といったらすごいじゃないですか。
生瀬:辰巳さんはプロデューサーとしての才能がすごいんですよ。
林:辰巳さんの京大の同級生って、テレビ業界にいっぱいいるんですよね。
生瀬:辰巳さんの下の世代になるんですけど、「そとばこまち」から出てこの業界でやってる人たちはとんでもないです。大河ドラマ「いだてん」のプロデューサーもそうだし、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)のプロデューサーもそうだし、「プロジェクトX」「プロフェッショナル 仕事の流儀」(同)を立ち上げた人とか、みんな「そとばこまち」出身です。
林:すごいですね、「そとばこまち」のこの業界における人脈って。生瀬さんも座長をやってたんですよね。
生瀬:辰巳さんがNHKの朝ドラ(「ロマンス」1984年)に決まって、座長をやめて、そのあと2年間だけ別の人が座長をやってたんですけど、その人がやめたあと、辰巳さんが「生瀬、座長をやれよ」と言って、僕、座長を13年ぐらいやってたんです。作家がいないから自分で書いて、演出もして、役者もして、ということをずっとやってました。