歌手と女優。二つの活動が、わずか15歳にして、順調に回りはじめた。ただ、女優として役を演じる時、役に対するアプローチの仕方は、今と30年前とでは随分違うと、中山さんは振り返る。
「今は、演じている時と、日常生活の切り替えが、きっちりできるようになったんですが、昔は、役のキャラクターを普段の生活にまで引きずっちゃうことがよくありました。とにかくその人物になり切ることが演じることだって思っていたのかもしれないですね。だから、役の衣装を借りてきて、普段もそれを着て過ごしたりとか(笑)。違うお仕事をしている時に、無意識のうちに役の言葉遣いが出てしまったこともしょっちゅうでした」
20歳を過ぎる頃には、「無我夢中」時代よりも少し余裕ができて、自分を客観視できるようになったせいだろうか、与えられる役のイメージと、自分自身との乖離に、苦しむようになった。そんな時、彼女の芯の部分にある個性を解放できたのが音楽だった。シングル曲は、タイアップが多かったこともあり、日本を代表する作家陣からの提供を受けていたが、その一方、弱冠22歳で、セルフプロデュースしたアルバムをリリースしている。
「よく、私の音楽好きを知っている友達からは、『美穂ちゃんって、パンクだよね』って言われるんですが(笑)、音楽をやっている時は、無条件で解放される自分がいます。特にライブは、ひとりで大勢のお客さんを前に歌うわけですけど、こちらからは、みなさんの笑顔が見える。あの空気は、ライブでしか味わえないものなので……。私、音楽って、世界に、絶対になくちゃいけないものだと思うんです。『音楽に救われた』とか、そんなに大袈裟なものじゃなくても、川のせせらぎとか、風の音、鳥のさえずりや波の音、自然の中にある音も音楽の一部だと思うというか……。だから私は、音楽に関わることで、世界に必要不可欠な要素の一部になれることが喜びなんです」
アルバムをリリースできるようになった経緯もまた、彼女のいい意味での音楽への執着心やいい意味でのクレイジーさが、周囲を動かしたことが大きかった。