TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は千葉での中継を行った『高橋みなみの「これから、何する?」』について。
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「このあと一気に世界が変わります」。これが台風15号に関する気象庁のコメントである。しかし、その後の報道は鉄道や成田空港の混乱だった。新内閣の発足もあり、台風15号の話題は隅に追いやられた。停電であらゆる通信手段が失われたことで対策も後手に回った。
最大瞬間風速57.5メートル。猛烈な風に約2千本の電柱が倒壊・損傷した。
「携帯電話の充電は○○町公民館」「ブルーシートは○○で手に入ります」「お風呂はここで入れます」
NHKラジオのアナウンサーは寄り添うようにライフライン情報を読み続けていた。電池があればラジオを聴ける。停電の暗闇の中、耳を傾けている被災者の姿を想像した。ラジオはリスナーの毎日の暮らしに根付いている。もちろん千葉にも大切なリスナーがいる。
僕の局でもプロデューサー、ディレクターが集まった。自分たちの車に乗り合い、千葉の被災地に行ってきたスタッフもいた。
2011年の東日本大震災ではラジオは被災したリスナーと応援するリスナーの心を結び付けるハブとなった。そのバトンを渡すのがパーソナリティーである。午後ワイド「高橋みなみの『これから、何する?』」のプロデューサーが動き、9月19日、たかみなこと高橋みなみさんが現地に行くことになった。房総半島南西端の洲埼灯台は、彼女がAKB48時代、『会いたかった』PV撮影に行ったゆかりの地でもあった。
富浦ICで高速を降りると、ブルーシートの屋根が目に入る。そこから30分、館山市布良(めら)地区へ入る。一帯には屋根が吹き飛ばされ、残骸が顕(あらわ)になった民家が。
「(市の)高齢化率は39%でお年寄りが多い」「ガラスなどの瓦礫が山積みに」「停電復旧した後も、お年寄りはスマホを使えない」