延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
この記事の写真をすべて見る
TOKYO FM・高橋みなみの「これから、何する?」(月~木曜、13:00~14:55、生放送 写真=TOKYO FM提供)
TOKYO FM・高橋みなみの「これから、何する?」(月~木曜、13:00~14:55、生放送 写真=TOKYO FM提供)

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は千葉での中継を行った『高橋みなみの「これから、何する?」』について。

【写真】千葉の被災地で中継を行った高橋みなみ

*  *  *

「このあと一気に世界が変わります」。これが台風15号に関する気象庁のコメントである。しかし、その後の報道は鉄道や成田空港の混乱だった。新内閣の発足もあり、台風15号の話題は隅に追いやられた。停電であらゆる通信手段が失われたことで対策も後手に回った。

 最大瞬間風速57.5メートル。猛烈な風に約2千本の電柱が倒壊・損傷した。

「携帯電話の充電は○○町公民館」「ブルーシートは○○で手に入ります」「お風呂はここで入れます」

 NHKラジオのアナウンサーは寄り添うようにライフライン情報を読み続けていた。電池があればラジオを聴ける。停電の暗闇の中、耳を傾けている被災者の姿を想像した。ラジオはリスナーの毎日の暮らしに根付いている。もちろん千葉にも大切なリスナーがいる。

 僕の局でもプロデューサー、ディレクターが集まった。自分たちの車に乗り合い、千葉の被災地に行ってきたスタッフもいた。

 2011年の東日本大震災ではラジオは被災したリスナーと応援するリスナーの心を結び付けるハブとなった。そのバトンを渡すのがパーソナリティーである。午後ワイド「高橋みなみの『これから、何する?』」のプロデューサーが動き、9月19日、たかみなこと高橋みなみさんが現地に行くことになった。房総半島南西端の洲埼灯台は、彼女がAKB48時代、『会いたかった』PV撮影に行ったゆかりの地でもあった。

 富浦ICで高速を降りると、ブルーシートの屋根が目に入る。そこから30分、館山市布良(めら)地区へ入る。一帯には屋根が吹き飛ばされ、残骸が顕(あらわ)になった民家が。

「(市の)高齢化率は39%でお年寄りが多い」「ガラスなどの瓦礫が山積みに」「停電復旧した後も、お年寄りはスマホを使えない」

次のページ