たかみなは現地の声に耳を傾け、丁寧にメモを取る。彼女は自分の言葉でマイクに向かう。今必要なのは金槌と釘といった工具、屋根や崩れた壁を覆うブルーシート、支援物資の荷下ろしと運搬とわかった。
「時刻は1時になりました。私は千葉・館山市布良にいます。かなり暑いです。ボランティアの方々が濡れた畳や瓦礫の撤去作業を行っています。今日は千葉の今を伝えていきます」
横浜から駆けつけた若い僧侶9人はチェーンソーを持参した(軽トラの荷台に乗った彼らは、たかみなにはにかみながら会釈していた。僧侶といえど青春真っただ中なのだ)。足立区の鳶(とび)は車に連泊しながら屋根に上ってブルーシートを張っているという話もあった。
「この地区は災害が初めて。強い風に、家そのものが浮いた感じもしたということです。高齢で一人暮らしの方が多く、ボランティアの皆さんはリストを作って一軒一軒回ったそうです。日頃のコミュニケーションが大切だと痛感しました」
中継の合間に、たかみなはラジオを配った。取っ手を回せば電池も不要の防災ラジオには懐中電灯も付いている。取材相手が言い出しにくいのを察して、よければ私と写真撮りませんかと笑顔で言った。一緒に写真を撮りながら「本当に大変だったの」と涙を流す被災地の女性。営業を再開した料理店では「千葉は自然豊かで、美味しいものもたくさんあります」と、静かになった海を眺めながら地魚の定置網丼を頬張るたかみなだった。ラジオは番組ごと駆けつけて皆さんの話を聞く。リスナーがいる場所に行って、そこから始まる心のメディアである。
※週刊朝日 2019年10月11日号