

演技に生きる女優に元ボクシング世界王者、腕っこきの料理人……多彩な人生模様を伝える「もう一つの自分史」。五木寛之さんの登場で始まった連載が、最終回を迎えます。「東京五輪の名花」チャスラフスカや阪神のエースだった江夏豊らを陰影豊かに描いたノンフィクション作家、後藤正治さんが、出会った人々と、歩んできた時代を語ります。
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小学生のときなど、将来は何になりたいかと、先生に聞かれますよね。「何にもなりたくない」と答えた記憶があるんですよ。目立たない子だったけど、思えばそのころからちょっと変わり者だったんでしょうね。
――京都御所や相国寺に近い、静かな街で子ども時代を過ごした。いまも京都府内で暮らし、古都を愛する。
おおらかな学風にひかれ、浪人して京大に入りました。農学部で学び、研究者になろうと思っていました。
でも学生運動が高揚した1969年、熱心な活動家ではなかった僕も上京してデモに参加したんですが、蒲田駅で逮捕されたんです。20日余り勾留されたのですが、付き合っていた彼女に振られましてね。悲しかったなぁ。
でも安堵する思いが確かにありましてね。「政治の季節」をやり過ごすこともできたけど、僕は何とか逃げずにすんだ、と。留置場で阿呆(あほう)なヤツと自分を笑いながら、これでいいんだ、と思っていました。
既成のものにノンと言いたいのにもかかわらず、心に蓋をして世間的な道を進みたくはなかったんです。同年代の多くの人のようにはね。
そんな青春時代に唯一残ったのが、自分自身は何者なのか、という問いかけでした。答えは簡単には見つかりません。研究者になることに魅力を感じなくなり、大学時代の後半は、ほとんど学校に行かずに喫茶店でアルバイトをしていましたね。
大学を出てからも、はっきりとした目的がないまま、自分探しが長く続きましたね。この経験を一度も後悔したことはなくてね。阿呆というか、ちょっと冷たい風が吹いている道を歩きたい、というか。そういう性分なんでしょうね。