『デジャ・ヴ』
『デジャ・ヴ』
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 スティーヴン・スティルスと、元バーズのデイヴィッド・クロスビー、元ホリーズのグレアム・ナッシュがグループを組むことを決めたのは、1968年の夏。LAのサロン的存在だったといわれるママ・キャスの家でのことだった。ジョニ・ミッチェルも深く絡んでいたと思われるが、それはともかく、即興で声をあわせたときに生じた魔法的なケミストリーがCSNを誕生させたのだった。

 3人のシンガー・ソングライターが、対等の立場で、演奏形態は固定せず、そのうえでユニットとしてのパーソナリティを明確に打ち出していく。翌年春リリースのデビュー作で示した彼らの基本姿勢は、ロック文化にとっての革命でもあった。シンガー・ソングライター・ムーヴメントの幕開けを告げた作品ともいえるだろう。

 ニール・ヤングがそこに加わり、CSNYが誕生したのは、69年7月。誰もがスティルス/ヤングの確執を知っていて、危険なものを感じたはずだが、最終的にはアーメット・アーティガンの強い推薦を受け入れてのことだったという。当然のことながら、ニールは、ソロ活動は自由に行なえるという条件をしっかりと確保していた。

 直後からウッドストックへの出演をはさんで12月までつづけられたレコーディングの成果が、翌年春発表の『デジャ・ヴ』だ。ドラムスは前作につづいてダラス・テイラー、ベースはモータウン系のグレッグ・リーヴス。ジェリー・ガルシアがペダル・スティール、ジョン・セバスチャンがハープでゲスト参加し、実際にはあの歴史的フェスに参加していなかったミッチェルの「ウッドストック」も取り上げられている。

 オープニング曲はスティルス、タイトル曲はクロスビー、ポップな側面はナッシュと、3人がそれぞれの役割をきっちりとはたしていくなか、ニールは、代表曲のひとつとなる「ヘルプレス」と、組曲「カントリー・ガール」を提供している。臆することなく、自由に、強烈に個性を主張している、といった印象だ。随所で素晴らしいギターを聞かせていて、アーティガンが期待したとおり、演奏面での充実にも大きく貢献している。ちなみに、大ヒットした「ティーチ・ユア・チルドレン」には加わっていないそうで、これもまた、ニールらしいエピソードといえるだろう。[次回5/13(月)更新予定]

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