「僕は親父に追い出されるように東京に出てきました。親父は音楽で生きていきたい僕を応援してくれていたんですけれど、名古屋にいることはオレは認めない、とはっきり言われた。本気で音楽をやるならば、東京かニューヨークへ行け! と。男ならば、東京かニューヨークだ! と。音楽の専門学校に入ることもなかなか許してくれませんでした。音楽家に弟子入りしてゼロから学べ! と」(常田)

 常田も最初の東京の住まいも三軒茶屋だったが、友人とのルームシェアだったので寂しさはまぎれた。

「それでも2,3日で、虚無感というか、自分がどうなっていくかわからない不安を感じるようになりました。そのころ、ふと、槇原敬之さんの『桜坂』を聴いて。街を去った恋人を思う歌です。思いもよらず、涙があふれてとまらなくなりました。初めて聴いた曲じゃないのに。それまでは、故郷を離れることがリアルじゃなかったのでしょうね。自分が東京に来て、歌詞の意味がわかって、泣けて泣けて。自分たちの街の言葉はあまりきれいじゃないけれど忘れないでほしいと、いう気持ちが歌われているんですよ」(常田)

「東京に来て20年以上になるのに、僕はほとんど自分の住む街の中で暮らしています。銀座も、六本木も、仕事以外で行くことはありません。だから今も土地勘がないまま。気持ちは今も愛知のときのままです」(大橋)

 スキマスイッチの曲で歌われる青春がいつまでもリアルなのは、こういったところに理由があるのかもしれない。
(神舘和典)

※週刊朝日オンライン限定記事 

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