「僕の青春は中学生のころの自分ですね。生徒会の役員をやって、バレーボール部で、一番目立っていた時代。あのころ、いつも一緒にいる友だちがいたんです。勉強ができて、スポーツもできて、そいつがいなければ今の僕はいないと感じるほど影響を受けました。彼には1学年年上の彼女がいて、その友達を紹介されて、ダブルデートをするようになりました。デートといっても、カフェとか水族館とかですけど。その友達といたときの自分が、歌詞の主人公とかぶります」(大橋)
大橋は愛知県東海市出身。常田は愛知県名古屋市出身。2人は高校3年の夏、名古屋のライヴハウスで共通の友人の紹介で知り合った。後に東京で同じ音楽専門学校へ通い、大橋が自分の曲のアレンジを常田に依頼したことをきっかけに組むことになった。
「青春」のカップリング曲「東京」は、1970年代の日本のフォークのテイスト。アコースティックギターがかき鳴らされ。ちょっと吉田拓郎のような雰囲気で大橋が歌う。
「子どものころ、父親がよく拓郎さんの曲を聴いていたんです。『イメージの詩』とか『落陽』とか。それが自然に僕の中に入っていたからかもしれませんね」(大橋)
歌詞の主人公には、やはり東京へ出てきたときの2人のマインドがにじんでいる。
「40代になり愛知よりも東京の生活のほうが長いのに、今も都会になじめていない自分をはっきりと感じています。そういう気持ちがこの曲には表れています」(大橋)
「自分の本質的な部分って、10代までにできてしまう。だから、今も名古屋にいたときのままのマインドです。アップデートできないままの自分がいます」(常田)
大橋は東京に引っ越してきた日を今もはっきりと憶えている。
「最初に住んだのは三軒茶屋のワンルームでした。ずっと愛知で育ったから、東京は怖い、というイメージがあって、でもそれ以上に1人の生活にわくわくしていました。東京に来たときは母親が付いてきて、部屋の整理を手伝ってくれた。夕方になって、母が愛知に戻るときに、つらくなったらいつでも戻っておいで、と言ってくれてね。そのときは平気だったのに、母が部屋から出てドアが閉まった瞬間に、体験したことがないほどの寂しさを感じたんです。あのドアの閉まる音、そして余韻は、今も僕の頭の中にはっきりと残っています。1人テーブルと向き合って、しばらくぼおっとしていました」(大橋)