我々は妻太郎案を採択し、太っちょ営業マンと契約を締結したのであった。

「それにしても、一回目に運ぶモノってどうやって選んだらいいのかしら」

「当座使わないものだな」

「そりゃそうでしょうよ」

 まず、アルバムや記念品の類はなくても生活できるだろう。夏物もクリスマスツリーも当面は使わない。小説や漫画は読まなくたって死にはしない。食器類も必要最低限あればいい。

 こうやって、当座使わないものを段ボール箱に詰め込んでいると、家の中が当座使わないものだらけなのに気づかされるのだった。

 無事、一回目の荷物を送り出したとき、実家の両親がサンマの干物を買ってきてくれた。干物はコンロさえあれば調理できる。鍋もフライパンも必要ない。

「ひょっとすると引っ越しの『引』って、引き算の引なのかもしれないな」

 大センセイ、この着想にひとり悦に入っていたのだが……。

「干物に大根おろしを添えようと思ったのに、おろし金、一便で送っちゃったわ」

 そう、たまにしか使わないけれど、なければ困るものも存在するのだ。引っ越しの引き算は、奥が深い。

 後半の引っ越しが終わると、部屋はがらんどうになった。妙に自分の声が響く。

「この部屋で、何枚の原稿を書いたことだろう……」

 大センセイ、感慨に浸りながら最後の用を足した。

 落とし紙をトラックに載せてしまったことに気づいたのは、その直後であった。

週刊朝日  2019年7月5日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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