著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。今回は、コメディアン、司会者、俳優など、マルチな才能で知られるせんだみつおさん。10代のころから芸能界の浮き沈みを経験し、「この世界に来てよかった」と語る。実はあこがれていた、もう一つの職業とは?
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今日はしゃべりますよ! 張り切って、ちゃんとジャケットにネクタイしてきちゃった。いつもはもっとラフな格好なんですけどね。
それにほら、見てくださいよ、この右足。痛風で腫れているんです。今年2月に転んで左足首骨折して、ボルト入れて、やっと落ち着いたと思ったら右足だものね。え? デストロイヤーの「4の字固め」とどっちが痛いかって? そりゃ痛風ですよ!
――こんなふうに、取材はにぎやかに始まった。次から次へと縦横無尽に話題が飛び出してくる。おもしろい話ばかりでなく、社会問題もあわせ、語られることの多彩さに感服させられた。
実は、芸能人になるほかに、なりたい職業があったんです。それはね、ジャーナリストなんです。生意気でしょ? せんだごときがジャーナリストだって?って、笑われそうですよね。でも本当にそうなんです。
高校時代、まじめにそう考えていました。社会問題に興味があって、生意気ついでに言えば、弱い立場の人の味方になりたかった。ものを言っても届かない方々を助けたい、というね。
1960年代からニュースキャスターとして活躍したアメリカのウォルター・クロンカイトみたいになりたかったんです。でも、目指すにしても、ものすごく勉強しなきゃならないし、自分にはむりだなあとも思っていました。
僕が子どものころ、大宅壮一さんの、あの有名な「一億総白痴化」っていう言葉が流行語になりました。まあ、その趣旨は「テレビのような低俗なものが横行すると、日本人全員の思考能力が低下する」っていうことでしょうか。
実際に、僕がこの言葉に出会ったのは大きくなって、大宅さんの本を何冊も読んだときでした。「ふーん。本当にそうかなあ」って。その後、テレビの世界で生きるようになりましたが、ずっと自分の胸に残っていますね。