そんな思いで、一日一編、英訳を続けたNY生まれの日本文学研究者の姿勢に、陽水さんの歌詞が「余白と余情」を特徴とする日本文学に系譜づけられると直感、僕はキャンベルさんにLINEした。「昨夜の話、ラジオ番組にできませんか?」
収録当日、陽水さんとキャンベルさんの言葉を巡る攻防はスタジオを白熱のリングにした。応酬のそこかしこで浮かび上がってきたもの、それは人生に対する深い探求と洞察だった。番組は日本放送文化大賞、ギャラクシー賞、芸術祭賞を獲得。それを機に、「傘がない」「心もよう」「飾りじゃないのよ涙は」など、陽水さんデビュー50周年にちなんでキャンベルさんの優美な英訳50編を収めた『井上陽水英訳詞集』がこのほど刊行された。
ラジオ化を申し出たのは、もう一度陽水さんに会いたいということもあった。
「ラジオ局の社員で終わっちゃうよ」の一言に奮起して、僕は小説を書き始め、2年後に文芸誌の新人賞を受賞した。初回は最終選考に残り、次作で。選考委員は山田詠美。毎週のように夜遊びをしていた親しい幼なじみから、彼女は僕の小説の大切な先生になった。
※週刊朝日 2019年5月31日号