TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は「井上陽水と幼なじみの山田詠美が僕の師である理由」。
【写真】井上陽水さんとロバート キャンベルさんの2ショットはこちら
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「君はそれでいいの? このままだと単なるラジオ局の社員で終わっちゃうよ」
スタジオ収録後、さあ食事にという時に、井上陽水さんが僕に囁いた。
新曲『Tokyo』のプロモーションで、1週間、マイクを握って歌舞伎座や浅草寺、青山や渋谷を巡った。平成3年だから、もう30年近く前だ。
共通の友人で、僕と「幼なじみ」の作家、山田詠美も誘って銀座に繰り出した。何軒かはしごして、最後は茉莉花(まりはな)というバーに。そこには吉行淳之介やタモリと談笑する陽水さんの写真が額装されていた。スウェードのジャケットを羽織っていた陽水さんは、僕たち以外誰もいなくなったバーに横になって寝てしまった。
いくら声をかけても起きない。「寝かせておいてあげたら。大丈夫だから」と店のママが言い、ポンちゃん(山田詠美)と白々としはじめた空を眺めながらタクシーを拾った。全てご馳走してくれ、有り金は(まだ夏目漱石の)千円札が2枚となっていた陽水さんのこともそうだが、気がかりなのは、「単なる社員で終わっちゃうよ」という言葉だった。
それからずいぶん時間が経って、僕は東大教授だったロバート キャンベルさんといた。池尻の呑み屋だった。そろそろという段になり、わずか6、7分の会話だった。
キャンベルさんが病を得て入院していた時の話だ。感染性心内膜炎で抗生剤が投与され、半年後にメスで胸を開く心臓手術が待っていた。病室の青い天井を見つめていたら、ふと陽水さんの歌詞が浮かんだ。iPadで彼の声を聴きながら英訳を始めた。モルヒネを打たざるを得ないほどの痛みの中、翻訳が次第に心の糧になっていった。
「英語では確定しなければならないことが多い。主語の“I”とか“my”など、帰属する母体を入れないといけない。陽水さんの歌詞では多くの場合、それらが省略されている。ちょっとやそっとじゃ訳し終わらない。余白を埋めてもその奥にまだ何かありそうだ」