筋肉の概念が『力こぶ』から『体脂肪率』になっていくとともに、スポーツはただの『力自慢』ではなく、あくなき『ベストパフォーマンスの追求』へと変化していきました。そして観る者は、そこに自分を重ね合わせながら感動体験を貪る。それが冒頭で書いた『平成のしんどさ』です。しかし興味深いのは、先に引退した安室奈美恵さんもそうだったように、スポーツだけに限らず平成のトップスターたちは、この情報過多な時代において皆一様に言葉少なな人ばかりなことです。結局は、本質勝負で結果を残した者でなければ、どんな御託やオプションサービスを並べたところで真の感動は得られないということなのかもしれません。もしくは「無口こそ最たる雄弁」なんて、いよいよ欲と業の極みのようなレベルに達してしまったか。いずれにせよ平成の30年間は、大衆性を排除し個人主義が台頭したことで、今までになく民度格差・感度格差を確立させた30年だったと言えるでしょう。
そして今後の課題は、ご本人も引退会見でおっしゃっていたように、『イチロー』という名前をどうするかです。1994年、日本人プロ野球選手としては初めて苗字を省き、しかもカタカナ表記で選手名登録をしたイチローさんですが、これこそ平成社会の価値観が産み落とした『時代の遺産』にほかなりません。イチローさんにしてみれば、務めとしてその文脈や意向もしくは願望に乗っかってきたに過ぎないと思います。『カタカナ・イチロー問題』は、平成が終わるまでにきちんとケリをつけなくてはならない平成を生きた私たち世間の最後の責務です。
※週刊朝日 2019年4月5日号