遺族の側にもランクが高いとされる「院号」を授けてもらったほうが、「見栄えがいい」といった感覚がある。先に亡くなった親族に院号があるのに、自分の家族に付けないわけにはいかないといった事例もある。
前出の島田さんは、戒名にこだわりすぎて悩むぐらいなら、付けなくてもいいとアドバイスする。
「戒名は絶対に付けなければいけないものではありません。寺の檀家でなければ、生前の名前である『俗名』のままでもいい。生前に自分で考えることや、故人のことをよく知る家族が付けることもできる。戒名の良いところは、その人がどういう人だったかという人生の集大成を、文字で表現できること。その人が生きた証しとして、墓石や位牌などに残せばいいのです」
個人が自分で考えるとすれば、どうすればいいのか。林さんは、俗名から一字とり、さらに一目見てその人であることがわかる文字を選べばいいという。音の響きにも心配りする。
「性格や趣味のほか、その人が世の中で貢献してきたことなどがいいでしょう。例えば、ずっと鉄工所で勤めてきたのなら『鉄』『鋼』など、自然が好きな人なら『岳』『峰』『雲』なども候補になります」
戒名はもともと、院号などで細かくランク付けするものではないことは、これまでに説明してきたとおりだ。死後の手続きの中でも事務的に進められず、それぞれの価値観が色濃く反映されるものだけに、自分や故人にとってふさわしいものは何か、じっくり考えてみよう。(本誌・岩下明日香)
※週刊朝日 2019年3月22日号