文部科学省で事務次官を務めた前川喜平氏が、読者からの質問に答える連載「“針路”相談室」。今回は、いじめ問題に心を痛める方からの相談です。
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Q:子どものいじめ問題に心を痛めています。これまで何人の子どもがいじめに悩み、どれだけの尊い命が失われたでしょうか。1993年には、私が住む山形県で、体育で使うマットに子どもを押し込め、死に至らしめた事件もありました。いじめられているのに登校を続け、自殺に追い込まれた話を聞くと、登校しなければよかったのにと思います。学校でいじめを防ぐのは難しいとも感じます。子どもたちには「逃げろ」というしかないのではないでしょうか。(山形県在住)
A:「逃げろ」というのは正しい助言です。いじめは、命の危険性をはらんでいます。そんな命の危険があるようなところには絶対に行ってはいけない。いじめられている子どもを持つ親は、その子を学校に行かせてはいけません。
今、「いじり」という言葉がよく使われ、テレビのバラエティー番組に「いじり文化」が広がっています。これは問題です。そもそも「いじり」と「いじめ」は紙一重。「いじり」とは、他人の尊厳を冒して楽しむことです。事実上のいじめである「いじり」が横行し、人の尊厳に対する感覚がまひしていると思います。
いじめは、自分と異質なものを排除しようとする同調圧力から起こります。日本の学校教育の「みんなと一緒じゃないといけない」という全体主義的な考え方や、上から押さえつけるような指導方法によって、いじめは生じやすくなると思う。日本の学校には、個を押し殺し、個人の尊厳を否定するようなところが、まだまだ残っています。そして、こうした風潮を良しとする学校関係者もいまだに多いのです。
日本でいわゆる学校教育が誕生し、義務教育の形になった背景には、明治時代の富国強兵政策があります。日本の学校は、軍隊をモデルにして作られ、国家のための教育がされました。例えば、「体育」の授業も、軍隊から取り入れた「兵式体操」が原点。放送中のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の第1話で、スポーツと体育の根本的な違いに言及する場面がありました。スポーツが勝敗を競いつつそれを楽しむことを重視するのに対し、体育は文字通り体を育むための教育で、国のために体を育むという軍隊の流れからきているのです。