60年代末に発表した歌が、たちまち若者たちのシンボルとなり、時代のカリスマとして君臨した“フォークの神様”岡林信康さん。その楽曲は“反戦歌”のイメージが強いですが、実際のところはどうなのでしょう。作家の林真理子さんが迫ります。
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林:若いころ山谷のドヤ街でギターをかき鳴らしたり、学生運動の波の中でカリスマ的なリーダーになっていったというのが、私の勝手な岡林さんのイメージなんですけど、それは不本意なことだったんですか。
岡林:不本意ではあるんだけど、僕は学生(同志社大学)をやめたから学生運動というものを知らないんですよ。デモも一度も行ったことないんです。新宿西口でみんなフォークソングを歌って大騒動になったというけど、あそこに僕は一度も行ったことないんです。
林:そうなんですか。
岡林:ただ、なぜか僕はそういうことのリーダーみたいなイメージがあって、今でも東大紛争の昔の映像が出ると……。
林:岡林さんの歌が必ずバックに流れます。
岡林:それは迷惑なことだよね。考え方として左翼的だった時期もあるし、妄信していた時期もあったけども、しばらくすればそんなものがバカげた考えだということもわかってきた。左翼思想にガチガチになって旗を振ったというのはウソですよ。だいたい俺はみんなと徒党を組んでどうこうというのがイヤなの。個人的な人間だから。
林:反体制と言われることもイヤだったんですか。
岡林:そうやね。俺がつくった歌に反戦歌なんて一曲もないよ。男と女の歌しかなかったから、政治家をこきおろしたり先生の悪口言う歌をつくっただけ。それは新鮮やったけど、「反戦歌手」のレッテルをつけられた。
林:メロディーがすごくきれいでしたね。
岡林:メロディーは賛美歌のおかげやね。母親のおなかにいるときから賛美歌を聴いてたから、メロディーラインは賛美歌の影響をすごく受けてると思う。
林:そのメロディーと字余り的な詞が不思議にマッチするんですよね。
岡林:歌というのは、詞とメロディーが溶け合ってるものやからね。分離してるもんやない。ボブ・ディランの歌を詞と曲に分離して、詞がノーベル文学賞をもらうなんて、あんなもんメチャクチャや思うね。俺、ボブ・ディランの歌が好きでよく聴いたけど、詞なんてぜんぜんわからへんよ。彼のボーカルの響きなりメロディーラインなりにひかれてのめり込んだのであって、詞の意味を理解して鑑賞してきたわけじゃないからね。
(構成/本誌・松岡かすみ)
※週刊朝日 2018年12月14日号より抜粋