■1910年にビタミンB1を発見、同時期に世界初の抗生物質を開発
日清戦争や日露戦争の頃、日本の軍隊では脚気が流行して多くの軍人が命を落とした。海軍の軍医だった高木兼寛はこれを「何らかの栄養の問題」と察知し、海軍の軍人に麦飯などを食べさせた。結果、脚気は激減した。麦にビタミンB1があったからだ。軍人さんの食事は当時高級食材だった白米で、おいしい「銀シャリ」を腹いっぱい食べるのが贅沢だったのだ。そして、皮肉なことに田舎では粟やヒエを食べていた(かもしれない)若者たちが、軍に入ると脚気を発症したのだ。
同じ頃、陸軍でも脚気が大流行していたが、陸軍ではこの病気を「栄養の問題」とは考えず、一種の感染症だと思っていた。頑健な若者が狭いところで集団生活を送っていて流行する病気だから、というわけで、それなりに理にかなった理屈だった。陸軍軍医だった有名な作家、森林太郎=鴎外も脚気は感染症だと思っていた。この誤謬(ごびゅう)のために陸軍はながく脚気に苦しめられるのだが、この話は拙著『サルバルサン戦記』に詳しいのでそちらを参照してほしい。
日露戦争が終わったのが1905年、鈴木梅太郎がビタミンB1を発見したのが1910年(ほぼ同時期に秦佐八郎らが世界初の抗生物質、サルバルサンを開発するが、これも前掲書参照のこと)。海軍は脚気の原因を完全に理解していたわけではなかったが、それでも「こうすれば脚気にならない」という実利的な方法を開発したということだ。その正確な原因を教えてくれたのは、生化学である。
ビタミンを発見したり、その作用を解明したりするときに、生化学は大きな貢献をする。医学にとって生化学が重要なのは当然だ。同時に、アルコール飲料のような発酵作用で作る飲食物にとっても生化学は非常に重要なのだ。一見、関係なさそうな医学と飲食物製造は、生化学でつながってくるのであった。
◯岩田健太郎(いわた・けんたろう)/1971年、島根県生まれ。島根医科大学(現島根大学)卒業。神戸大学医学研究科感染治療学分野教授、神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長。沖縄、米国、中国などでの勤務を経て現職。専門は感染症など。微生物から派生して発酵、さらにはワインへ、というのはただの言い訳なワイン・ラバー。日本ソムリエ協会認定シニア・ワインエキスパート。共著に『もやしもんと感染症屋の気になる菌辞典』など