もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は俳優・演出家の江守徹さんです。
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ないんだよね。別の道なんて。本当に。小さいときから役者になりたかったんだよ。
きっかけらしいきっかけもないんだけど、母親が連れていってくれて映画をよく見てたからね。まだテレビがなかった時代だから、娯楽といえば映画しかなかった。
フランケンシュタインの映画を見たのをおぼろげに覚えてますよ。ボリス・カーロフっていう俳優が怪物を演じた有名な映画があってね。どうもおふくろによると、途中で怖くなって泣いて、出てしまったらしいんですよ。そのまま帰るんじゃ面白くないから、隣の映画館でエノケン(榎本健一)かなんか見たらしい。
母は洋画が好きだったんだね。エンタメ作品で話題になったものはかなり見ていましたよ。
父親は戦死し、母子家庭で育ちました。母親は働き者だったね。とにかく働く人だった。日中勤めに出てるので、帰ってくるまでは一人で待っていました。
そんなときは、窓から見える景色を描いたりしていましたね。静物画も描きました。絵はうまかったですよ。ガキ大将でもなく、ちゃんとした子でしたよ(笑)。
――テレビ番組や映画などにも多数出演してきたが、江守徹といえば劇団「文学座」の顔だ。若いころからセリフを言わせたら右に出るものはいなかった。新劇との出会いは高校時代にさかのぼる。
中学生になったころには映画俳優になろうと思ってました。俳優っていうのは映画俳優だっていう考えしかなかったから。でも、どうやってなったらいいのかわからない。とりあえず高校へ入ったら演劇部に入ってみたんだね。