「あいつらには、ほとほと嫌気がさしました」
【法定相続分より多く遺産を引き継げる、寄与分算出の仕方はこちら】
こう話すのは、茨城県在住の山下隆さん(仮名・61歳)。あいつらとは実の弟と妹。山下さんは、3人きょうだいの長男。弟と妹は二人とも東京暮らしで、それぞれ家庭がある。昨年、母(86)を亡くしたが、15年間同居して介護を担ったのは山下さんと妻だった。
「弟や妹は、年に3回帰省すれば良いほう。それも帰省のたびに、食事にお土産に、親におごってもらって当たり前でした。末っ子の妹に至っては、帰省のたびに交通費と称し毎回、お小遣いまでもらっていた。それが母の年金から出されていたことに気づいていたのだろうか。母の生活費は自分が出していたから、お小遣いを渡せる余裕があったのに……」
山下さんは、「自分は長男だから両親のそばに」と東京の大学を卒業後、茨城で就職し、ずっと両親を近くで見守ってきた。だから父親が亡くなったとき、母親が一番に山下さんを頼るのは自然な流れだった。
母親は一緒に暮らし始めた当初は、自分のことは自分でできていたが、認知症を発症。最後の7年間は壮絶なものだった。山下さんや妻をののしったり、夜中に大声を出したり、泣きわめいたりするのは日常茶飯事。山下さんは栄転だった本社転勤も介護のために断るしかなく、妻は生活費の足しにしていたパート勤めも辞めざるを得なかった。
山下さんの定年後は、二人で交代で母親の面倒を見る日々。介護で心身共に疲れ果てたころ、母親は息を引き取った。もちろん母親を亡くした悲しみは大きかったが、正直なところ「やっと終わった」という思いも強かった。
きょうだいが相続をめぐってもめ始めたのは、母親が亡くなってすぐのことだ。
「おふくろの財産は、平等に、きっちり法定相続分で分けようね」
弟と妹から、耳を疑う言葉が飛び出したのだ。長年両親をそばで見守り、認知症の母を介護した自分が、弟や妹より遺産を多めにもらうのは当然という認識は、きょうだいで共通のものだと信じて疑っていなかった。弟や妹がこれまで好き勝手に生きてこられたのは、自分が両親を見守ってきたからではないか──。