経済人が半生を振り返る『私の履歴書』(日本経済新聞社)には、引き際に悩む経営者の思いが記されている。元ヤマト運輸社長の小倉昌男は、退任後も自らの顔色をうかがう役員の多さに気づき、「実は自分の存在がマイナスになっていたのか」と一切の役職から退いた。元堀場製作所社長の堀場雅夫は「ワンマン社長の首を切るのは自分自身しかない」と腹を決めた。
経営者と違い、従業員は役職定年や定年退職が一足早く訪れる。久恒さんは退職時のあいさつについて、「定年なんて他人が決めたことで、老いたと考えてはダメ。退職のスピーチは『これから○○をやります』と宣言するといい。それが後輩を元気づけることにもなります」と助言する。
著名人の言葉でも、新天地や次世代への思いは聞き手に前向きな印象を与える。
元巨人の原辰徳は「私の夢には続きがあります。その言葉を約束して、きょう引退します」と宣言。元広島の野村謙二郎は「今日集まってる子供たち! 野球はいいもんだぞ! 楽しいぞ!」と呼びかけた。
選手から監督など、引退後も第二の人生がある。退いてからも意欲的な人は昔から数多くいた。
「三井物産の設立に関わった益田孝は66歳のとき、『老いの身に余る重荷をおろしては、また、若返る心地こそすれ』と言って退職しました。しかし、その後の余生24年間で、茶人としても名を成しています」(久恒さん)
ジャーナリストで評論家の徳富蘇峰が『近世日本国民史』を書き始めたのは、50代半ば。89歳で完成させた。100巻もあり、個人編著の歴史書として世界屈指の規模。最近では105歳で亡くなった日野原重明・聖路加国際病院名誉院長。100歳の頃から俳句や乗馬、フェイスブックを始め、104歳で句集を出した。
志を遂げた人の言葉からは、静かな自負がうかがえる。元ソニー社長の井深大は「私からソニーを引き去ったら何も残らない」、元任天堂社長の山内溥は「成功者がごくわずかなゲームビジネスの中で、自分の力以上のことができた」。
何事も懸命に打ち込めば、その思いから自分らしい言葉が紡ぎ出される。今の組織や立場を去るとき、どんな言葉を残せるだろうか。(横山渉)
※週刊朝日 2018年9月21日号より抜粋