防衛庁(当時)の航空装備研究所で風洞実験をやらせてもらったりして、当時の世界記録を打ち立てました。いろんな分野のトップの技術を持つ人たちと、いっしょに研究を進めていくのは楽しかったですね。
その次は、富士山から滑り降りるという目標を立て、66年に成功しました。スピードが出すぎるから、パラシュートを背負って滑ったんですが、それがパラグライダーの元になったって聞いてます。
――数多くの冒険に挑んできた三浦さん。年齢を重ねても、その意欲はまったく衰えないように見える。
まだまだ自分はヒヨッコですね。私の父親は、80代でアルプス山脈をスキーで走破したり、99歳でモンブランの氷河滑走をやってのけたりしながら、101歳まで生きた。今も、あの背中を追い続けています。
実は、自分自身は60になったころ、そろそろ引退かな、なんて考えてた。それで不摂生な暮らしをしていたら、身長は164センチなのに体重が88キロの、すっかりメタボな身体になっちゃった。血圧も上が200近くあって、医者に行ったら「このままだとあと3年で死にますよ」って“余命宣告”されたんです。
こりゃ困ったと思って、70歳でエベレストに登るという目標を立てて、トレーニングに取り組みました。最初は、情けないことに、小学生が遠足で行く近くの山も、心臓がバクバクして、脚もつりそうになって、頂上まで行けなかったんです。
そんな状態からでも、70歳、75歳、80歳で、エベレスト登頂に成功。来年、南米最高峰でアンデス山脈にあるアコンカグア(標高6961メートル)から滑降しようと思ってます。
まだ夢の段階ですけど、90歳でまたエベレストに登りたい。自然に対する挑戦というより、年齢への挑戦ですね。年齢を重ねるごとに体験したことがない領域に入って、新しい挑戦テーマが出てくる。
――三浦さんをそこまで突き動かしているものは何か。
未知への好奇心ですね。若いときに富士山から滑り降りたときも、南極の最高峰に挑んだときも同じ。不可能かなと思った困難を乗り越えると、また乗り越えたいことが次から次へと出てくる。