それでもリハビリを続けていくには、相当な根気が必要だったと打ち明けていた。
「体が鉛のように重いから歩くだけでもつらい。足もおもりをつけているようで、痛いし硬いし、どうしようって感じ。『そんなことできないの?』っていう、子どもがやるようなことも、脳梗塞の患者にとってはすごい大変。肉体的にも精神的にもつらいんです。だからリハビリ中は根気しかない。こんだけ根気あって、こんだけ努力するんだったら、東大でもどこでも受かっちゃうよ。(笑)」
ゆっくりとした口調で答えていた西城さんがインタビュー中、歌を口ずさむシーンがあった。「音符があることが救い」だったという。
「普通に話すときはコントロールが大変で、ゆっくり話さないといけない。だけど歌は最初から音符があるためか、ひっかからないんですよ。そこで僕のデビュー曲(『恋する季節』)はアップテンポだけど、バラードで歌うとどうだろうって練習してみたりして、改めてデビュー曲の良さを感じたりもしましたね」
身長181センチ。当時の体重は病気の前から9キロほど減って71キロになっていた。病で思うようにいかない部分も受け入れると、これまで見えなかったものが見えてきた気がするのだと語った。
「病気の前と後とでは、百八十度違うということを認識する。今は何ができるのかを見つける。それしかないです。以前と比べたら落ち込むだけだから、比べちゃいけない。かつてはスポーツマンだったから何でもできました。僕の子どもは言いますよ。昔のビデオを見て『パパ、このときはまだ足、大丈夫だったね』って。『お前、見るなそんなもん』とは言えなくて、見るんですよ、一緒に。しっかり目に焼き付けて、『あのときは健康だったな。よし早く良くなろう』って気持ちを前向きに持つようにするんです」
歌手活動を再開し、ひとりの患者として、脳梗塞の体験談などを伝える取り組みも続け、
「調子が良くないときもありますが、ステップアップの兆しは自分でもわかっています。病気前は、かっこよく見せたいっていうのが常に先にあって、走っていた気がします。でも今は、僕のありのままを見せてやっていこうと思っています」