また、論理的な説明で注意すべきなのは、「主観をいれないこと」です。国語にありがちなミスですが、たとえば、桃太郎を読んで「犬はどうしてついてきたの?」と聞いたとき、「おばあさんのきび団子がとてもおいしかったからついてきた」と言ったらそれは主観が混じっています。この答えでは団子がまずかったらついてきていないことになり、そこの因果関係は文章からは分からないことです(絵本においしかったから、という表現があったら別ですが)。
そして、論理的に考えさせることと、子どもの想像力を伸ばすのは別のことです。人間が「月にいく」と考えたのは想像力であり、それを実現させたのは論理的な思考。つまりこの二つは潰しあう関係ではありません。私も息子に論理的な話をするときには、余計な主観をキッチリ排除しながらも、想像する力はつけさせたいと思っています。
息子は、将来の夢はロボットだし、「悪い子がいないかテレビから出てきた」と言ってマツコ・デラックスさんのお面をかぶって近づくだけで号泣するし、私が「恐竜の歯を抜いて作った」とうそをついた、単なる石のペンダントを皆に自慢してしまうような、かなりファンタジーの世界で生きている子です。「テレビから人間は出られない。なぜなら……」と言えるのは知識があるからで、もしそんなふうに論破されてしまったら、ご飯をちゃんと食べないときなど育児が大変になります……なので、とりあえず今は、夢を壊す知識をつけるような議論は避けようと思います。