■実りなき社会で「ここではないどこか」を求めてボランティアへ

 平成7年(95年)の阪神・淡路大震災ではボランティアがブームになりました。「地下鉄サリン事件」もこの年です。共通のキーワードは「ここではないどこか」。普段は存在が希薄な自分でも、どこかで非日常を経験すれば、生きていることを実感できるだろう……と。

 平成23年(11年)の東日本大震災でもボランティアが活躍しましたが、そこで見られたのは「ここではないどこか」への志向ではなく、「この社会は続くのだろうか」という疑問でした。原発事故もさることながら、むしろ救援物資の奪い合いなどに見られる社会の劣化が、疑問を裏付ける形になりました。

■愛よりカネの両親が正しさより損得の子を育てる

 日本青少年研究所の国際比較調査(日米中韓)を見ると、日本には、一方で「自分は無価値だ」と思う若者がとても多く、他方で親を尊敬していない若者もすごく多い。各種の調査が共通して「女はカネがあれば結婚せず、カネがない女がカネがある男と結婚するので、カネがない男は結婚できない」ことも示しています。

 カネで結びついた両親が、「愛と正しさがあれば立派に生きられる」と教えず、「勉強しないと負け組」「得をしたければ勉強しろ」と教えるのです。勝ち組が上位1割とすれば9割が自尊心を奪われるし、「愛と正しさ」を欠いた親は尊敬できません。

 かくして「自分は無価値」と思う親を尊敬しない若者が、「正しさよりも損得」という生き方をします。若い世代ほど、就職率の高さや失業率の低さを理由に安倍政権を支持しているのは、それも背景にあるでしょう。

■平成とは「分断と孤立」が招いた「被害妄想と誇大妄想」の時代

 こうして、昭和末期の80年代に進んだ家族と地域の空洞化が、90年代に完成しました。人は、分断されて孤立すると、被害妄想と誇大妄想の“沼”にはまります。ルールを破った者を見つけて集団炎上する者や、排外主義的なネトウヨの増殖はその現れです。

 かくして「行政は何をしている」と騒ぎ、自分の損得しか考えない人が、社会にのさばっています。共同体の崩壊を背景とする不安ゆえに「法の奴隷」と「カネの奴隷」が増殖したのが「平成」という時代でした。

(構成/本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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