それを見て吉田らはびっくり。「天皇がシンボルとは……、主権者たる国民の総意に基づくとは……」
何から何まで納得しがたい。だが最後は受け入れた。GHQは「最高司令官は万能ではない。この案が受け入れられれば、天皇の地位は安泰になるだろう」と言う。なぜなら、天皇の戦争責任を追及すべきというソ連やオーストラリアなどが参加している極東委員会が間近に迫っている。開かれる前に新憲法案をつくって、日本は二度と戦争をしない体制になった、と極東委員会を納得させなければ、天皇が戦争犯罪人として扱われる可能性もあった。そんなことになったら、日本は混乱し、占領統治がむずかしくなることをGHQは知っていた。
そして、GHQの意向通り、天皇の戦争責任は免責され、象徴天皇制の憲法体制で戦後の出発となった。
安倍首相とその取り巻きたちは、この経緯を無視して「押しつけられたから、自主憲法を」と言っている。自分たちの保守政治のふがいなさから、GHQの憲法作成を招き、保守政治が最も大事にしている天皇制護持(象徴だが)のために、GHQが憲法草案をつくったことを頭に入れていない。押しつけどころか、この憲法が天皇制を護持した。この歴史を無視した態度に、改めてあぜん。
つぎは第一条。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
この文の後半を、よーく見てください。天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、とある。ということは、国民の総意が望まなければ、天皇の地位をなくすことができる、ということ。つまり、象徴天皇の地位を廃止することもできる、と言っている。これはびっくりではありませんか。そんなことが憲法に書いてあるなんて! 主権在民はそれだけ強いということを改めて知った。
戦前は天皇が主権者。三権のすべて、立法、司法、行政を支配し、軍隊を支配する大権をもつ強大な存在。敗戦後、日本国憲法によって、その天皇が象徴になり、臣民、天皇の赤子といわれた国民が主権者となって、天皇の地位を総意によって左右する存在になった。まさに百八十度逆転。その意味で革命が起こった。でも、その革命はフランスのように市民が戦い取ったものではない。日本人310万人と隣国及びアジア諸外国の人々2千万人の血の犠牲によってなった。それだけに「主権者としての私」を大事にしたい。