また、住民の目撃情報では低空で空中給油の訓練を実施していたこともあるというから、いっそう事故発生のリスクは高まる。

 今回の事故を起こしたヘリは、CH53の「E型」機で、04年8月に宜野湾市の沖縄国際大学に墜落した「D型」機からエンジンを増設するなどバージョンアップし、推力向上が図られた。だが、事故はいっこうに絶えることがない。

 昨年12月13日には名護市安部の海岸でオスプレイが墜落、大破している。東村高江はヘリの着陸帯(ヘリパッド)6カ所の新設が住民らの反対運動を押し切って強行されただけに、事故多発の恐怖は募るばかりだ。

 沖縄県基地対策課によると、1972年の復帰から昨年12月末までの45年間で、「墜落」「不時着」「空中接触」「着陸失敗」「火炎噴射」「部品落下」「爆弾投下失敗」など米軍のヘリや固定翼機が起こした事故は計709件に上る。そのうち墜落だけでも47件あり、復帰後も毎年1機以上が墜落していることになる。この現実は、はたして受忍の範囲とでもいうのだろうか。

 しかも事故には、放射性物質や有害物質による汚染の危機も伴う。CH53には回転翼の安全装置に放射性物質のストロンチウム90が使用されている。放射性物質の飛散が懸念されるが、米軍は10月20日、現場の牧草地の土壌を掘り起こし、大型トラック5台分を運び出した。当時、台風22号が沖縄地方に接近しており、米軍の説明によれば、細かい部品など残骸物が海岸に流出しないよう土ごと採取したという。県や沖縄防衛局が放射線調査を実施したが放射線量は通常の値だったという。
 しかし、基地監視団体「リムピース」編集長の頼和太郎さんはこう語る。

「ヘリがあれほど激しく炎上していたことからも、放射性物質が飛散していた可能性は高いでしょう。米軍が土壌を持ち出したのも、もちろんそのためです。横須賀でも原子力空母を修理する場合など、放射性物質が漏れ出ます。米軍は修理に使った布や溶剤を本国に運んでいます。事故現場の土砂も同様で、そう簡単に処理はできません」

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