彼は40歳頃に、それまで務めていた京都町奉行所の与力を退職し、娘婿にあとを譲りました。44歳で妻に先立たれ、末娘の一家との同居をすすめられるも、別々に住んで時々会うほうがうれしい心地がすると言って、京都の下町に住んで市井の人となりました。

 杜口はこの市井の一人暮らしの見聞をもとに『翁草(おきなぐさ)』200巻を書き上げました。江戸時代を知る第一級の史料です。

 杜口は家禄の一部を年金のようにして生活費にあてていました。借家での質素な暮らしですが、一人で生きていくのには十分です。

 健康については、とにかく、よく歩いたようです。好奇心旺盛に歩き回って、見聞を広めていたのですから足腰が丈夫でした。80歳になっても一日に5~7里(20~28キロ)歩けたというのです。

 生きがいは、『翁草』の執筆です。ライフワークと定めた著作を世間や家族に煩わされることなく続けることができたのですから、幸せだったでしょう。

 まさに老いの豊かさを支える3条件を満たして「人生の幸福は後半にあり」を実践したのです。

 我が身を振り返ってみると、二の健康は今のところ大丈夫です。三の生きがいもホリスティック医学というライフワークがあります。心もとないのは、昔から宵越しの銭を持たない性格だけに、一の生活費かもしれません(笑)。

週刊朝日 2017年10月27日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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